いや》文句以上、筆以上の壮観で、烈々|宇内《うだい》を焼きつくす概があった。頭山が遣るというなら俺も遣ろう。奈良原が死ぬというなら俺も死のう。要らぬ生命《いのち》ならイクラでも在る。貴様も来い。お前も来い。……という純粋な精神的の共産主義者の一団とも形容すべきものであった。それじゃけに、愛国社の連中は一度《ひとたび》、時を得て議論が違うて来ると、外国の社会主義者連中と同じこと直ぐに離れ離れになる。もっとも今の政党は主義主張が合うても利害が違うと仲間割れするので、今一段下等なワケじゃが、玄洋社となると理窟なしに集まっとるのじゃけに日本の国体と同じことじゃ。利害得失、主義主張なぞがイクラ違うても、お互いに相許しとる気持は一つじゃけに議論しながら決して離れん。玄洋社は潰れても玄洋社精神は今日《こんにち》まで生きておって、国家のために益々|壮《さか》んに活躍しおるのじゃ。そげなワケじゃけに、その当時の玄洋社で一口に自由民権と聞いても理窟のわかる奴は一人も居らんじゃった。それじゃけに、ともかくもこの二人に板垣の演説を聞いてもろうて、国のためにならぬと思うたならば二人で板垣をタタキ潰してもらおう。
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