心を威圧しているのもこの辺に端を発してるのではなかろうか。
そのうちに四国の土佐で、板垣退助という男が、自由民権という事を叫び出して、なかなか盛んにやりおるらしい。明治政府でもこれを重大視しているらしい……という風評が玄洋社に伝わった。
その当時の玄洋社員は筆者の覚束《おぼつか》ない又聞きの記憶によると頭山満が大将株で奈良原到、進藤喜平太、大原|義剛《ぎごう》、月成勲《つきなりいさお》、宮川太一郎なぞいう多士済々たるものがあったが、この風聞に就いて種々凝議した結果、とにも角にも頭山と奈良原に行って様子を見てもらおうではないかという事になった。
その当時の評議の内容を伝え聞いていた福岡の故老は語る。
「大体、玄洋社というものは、土佐の板垣が議論の合う者同志で作っておった愛国社なんぞと違うて、主義も主張も何もない。今の世の中のように玄洋社精神なぞいうものを仰々しく宣言する必要もない。ただ何となしに気が合うて、死生を共にしようというだけでそこに生命《いのち》知らずの連中が、黙って集まり合うたというだけで、そこに燃え熾《さか》っている火のような精神は文句にも云えず、筆にも書けない。否《
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