で鉄門の間に足を突込んで、死を決して駄々《だだ》を捏《こ》ね始め、終日看守を手古摺《てこず》らせた揚句《あげく》、やっと目的を達すると、その翌日からドシドシ肉を運び始めて大いに当局を弱らせたのもこの時の事であったという。
 そのうちに西南の戦雲が、愈《いよいよ》濃厚になって来たので、県当局でも万一を慮《おもんぱか》ったのであろう、頭山、奈良原を初め、健児社の一味を尽《ことごと》く兵営の中の営倉に送り込むべく獄舎から鎖に繋いで引出した。その時は健児社の健児一同、当然斬られるものと覚悟したらしく、互いに顔を見合わせてニッコリ笑ったという事であるが、同じ時に奈良原少年と同じ鎖に繋がれる仲よしの松浦愚少年が、護送の途中でこんな事を云い出した。
「オイ。奈良原。今度こそ斬られるぞ」
「ウン。斬るつもりらしいのう」
「武士というものは死ぬる時に辞世チュウものを詠《よ》みはせんか」
「ウン。詠んだ方が立派じゃろう。のみならず同志の励みになるものじゃそうな」
「貴公は皆の中で一番学問が出来《でけ》とるけに、嘸《さぞ》いくつも詠む事じゃろうのう」
「ウム。今その辞世を作りよるところじゃが」
「俺にも一つ
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