頭山が妙な事をすると思うて理由を聞いてみると、きょうは死んだ母親何とかの日に当るけに精進をしよるというのじゃ。それを聞いてから自分《わし》はイツモ飯となると頭山の横に座ったものじゃがのう。ハハハ」
進藤喜平太翁も、その時分の事を筆者に述懐した事がある。
「拷問ちうたて、痛いだけの事で何でもなかったが、酒が飲めんのには降参した。飲みとうて飲みとうてならぬところへ、ちょうど虎烈剌《コレラ》が流行《はや》ってなあ。獄卒がこれを消毒《まよけ》のために雪隠《せついん》に撒《ふ》れと云うて酢を呉《く》れたけに、それを我慢して飲んだものじゃ。むろん米の酢じゃけに飲むとどことなくポーッと酔うたような気持になるのでなあ……まことに面目ない、浅ましい話じゃったが、奈良原が、あの面《つら》付きでシカメて酢を飲みよるところはナカナカ奇観じゃったよ。奈良原は酒を飲むといつも酔狂をしおったが、酢では酔興が出来んので残念じゃと云うておった」
同じ健児社の同志で運よく年少のために捕えられなかった宮川太一郎(今の政友代議士、宮川一貫氏の父君)氏が、同志に与うべく牛肉の煮たのを獄舎に持って行き、門衛の看守に拒まれたの
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