《やりくち》を、手ぬるしと見たか、時代|後《おく》れと見たか、その辺の事はわからない。しかし、たしかにモット近代的な、又は実際的な方法手段をもって、独力で日本をリードしようと試みて来た人間である事は事実である。
 事実、彼には乾児《こぶん》らしい乾児は一人も居ない。乾児らしいものが近付いて来る者はあっても、彼の懐中《ふところ》から何か甘い汁を吸おうと思って接近して来る者が大部分で、彼の人格を敬慕するというよりも、彼の智恵と胆力を利用しようとする世間師の部類に属する者が多く、それ等の煮ても焼いても喰えない連中を巧みに使いこなして自分の仕事に利用する。そうして利用するだけ利用して最早《もはや》使い手がないとなると弊履《へいり》の如く棄ててかえりみないところに、彼の腕前のスゴサが常に発揮されて行くのである。嘗て筆者は彼からコンナ話を聞いた。
「福沢桃介という男が四五年前に、福岡市の電車を布設するために俺に接近して来たことがある。俺は彼に利用される振りをして、彼の金《かね》を数万円使い棄てて見せたら、彼奴《きゃつ》め、驚いたと見えて、フッツリ来なくなってしまった。ところが、この頃又ヒョッコリ来
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