て来た彼は明治維新の封建制度破壊以後、滔々《とうとう》として転変推移する、百色《ひゃくいろ》眼鏡式の時勢を見てじっとしておれなくなった。このままに放任しておいたら日本は将来、どうなるか知れぬ。支那から朝鮮、日本という順に西洋に取られてしまうかも知れぬと思ったという。その時代の西洋各国の強さ、殊に英国や露西亜《ロシア》の強さと来たら、とても現代の青年の想像の及ぶところでなかったのだから……。
杉山茂丸は茲《ここ》に於て決然として起《た》った。頑固一徹な、明治二十年頃まで丁髷《ちょんまげ》を戴いて、民百姓は勿論、朝野の名士を眼下に見下していた漢学者の父、杉山三郎平|灌園《かんえん》を説き伏せて隠居させ、一切の世事に関与する事を断念させて自身に家督を相続し、一身上の自由行動の権利を獲得すると同時に、赤手空拳、メクラ滅法の火の玉のようになって実社会に飛出したのが、彼自身の話によると十六歳の時だったというから驚く。大学を卒業してもまだウジウジしていたり、親から月給を貰ってスイートホームを作ったりしている連中とは無論、比較にならない火の玉小僧であった。
その頃、彼の郷里、福岡で、豪傑ゴッコをす
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