に、新青年誌上に紹介されないのは嘘だという事を知っているのみである。

 杉山茂丸は福岡藩の儒者の長男として生れた。そうして維新改革後、父母と共に先祖伝来の知行所に引込み、そこで自ら田を作り、鍬《くわ》の柄《え》や下駄を製作し、又は父から授かった漢学を父の子弟に講義し、小学校の先生もつとめた事もあるという。その他の智識としては馬琴《ばきん》、為永《ためなが》の小説や経国美談、浮城《うきしろ》物語を愛読し、ルッソーの民約篇とかを多少|噛《かじ》っただけである。中村|正直《まさなお》訳の西国立志篇を読んだか読まぬかはまだ聞いた事がないが、いずれにしても杉山茂丸事、其日庵主《きじつあんしゅ》の智情意を培《やしな》った精彩が、右に述べたような漢学|一《ひ》と通りと、馬琴、為永、経国美談、浮城物語、西国立志篇程度のもので、これに、後年になって学んだ義太夫の造詣《ぞうけい》と、聞き噛り式に学んだ禅語の情解的智識を加えたら、彼の精神生活の由来するところを掴むのは、さまで骨の折れる仕事ではあるまい。勿論彼の先天的に持って生まれた智力と、勇気は別問題にしての話である。

 明治と共に生れ、明治と共に老い
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