哀でなかった。笑うには笑われず、泣くにはアマリに非凡過ぎる……といったような、実に篠崎仁三郎一流のユーモラスな最期を遂げたのであった。それは地上、如何なる凡人、又は非凡人の最期にも類例のない……同時に如何なる喜悲劇、諷刺劇の脚本の中にも発見出来ない、セキスピアもバナードショオも背後に撞着《どうちゃく》、倒退《とうたい》三千里せしむるに足る底《てい》の痛快無比の喜悲劇の場面を、生地《きじ》で行った珍最期であった。
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…註曰…篠崎仁三郎氏の晩年には、他人ばかりの寄合世帯で一家を作っていたために、色々と複雑な事情が身辺にまつわり附いていたが、ここにはそのような事情の一切を省略し、それ等の中心問題となっていた事実のみを記載するつもりである…。
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篠崎仁三郎氏が五十四の年の春であったか……腎臓病に罹《かか》って動きが取れなくなった。そこで自然商売の方も店員任せにして自宅で床に就いていたが、平常《へいぜい》でさえ肥っていたのに、素晴らしく腫れ上ってまるで、洪水《おおみず》で流れて来たみたような色と形になってしまった。瞼《まぶた》なんか腫れ塞がってしま
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