たて》に出て御機嫌を取ったり、ヨタを飛ばして煙に巻いたりするような小細工もしない。いつもザックバランの対等の資格で割り込んで行って、睨み合い同志の情をつくさせ、義をつくさせて、相互の気分にユトリを作らせ、お互い同志が自分の馬鹿にウスウス気付いたところを見計《みはか》らってワッと笑わせて、万事OKの博多二輪加にして行く手腕に至っては、制電《せいでん》の機、無縫《むほう》の術、トテモ人間|業《わざ》とは思えなかった。通夜の晩などに湊屋が来ると、棺の中の仏様までも腹を抱えるという位で、博多魚市場の押しも押されもせぬ大親分として、使っても使っても使い切れぬ金《かね》が、二三万も溜まっていようかという身分になった。そうして篠崎仁三郎の一生はイトも朗らかに笑い送られて行ったのであった。

 しかも天の配剤というものは誠に、どこまで行き届くものかわからないようである。その篠崎仁三郎の一生が、あまりにも朗らかであり過ぎたために、その五十幾歳を一期として死んで行く間際に当って一抹の哀愁の場面が点綴《てんてつ》されることになったのはコトワリセメて是非もない次第であった。
 しかもその悲哀たるや尋常一様の悲
前へ 次へ
全180ページ中165ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング