ろうと思うが、筆者の母親の生家に不幸のあった時のこと、仏に旧交のあった奈良原到が、どこから借りて来たものか上下チグハグの紋服に袴《はかま》を穿いて悔みに来た。
「ほんの心持だけ……」
 と皆に挨拶をして香奠《こうでん》と書いた白紙《しらかみ》の包みを仏前に供え恭《うやうや》しく礼拝して帰ったので皆顔を見合わせた。一体あの貧乏人がイクラ包んで来たのだろう……というので打寄って開いてみると中には何も這入っていなかった。正真正銘の白紙だけだったので皆抱腹絶倒した。
 しかし心ある二三の人は涙を浮べて感心した。
「奈良原到は流石《さすが》に黒田武士じゃ、普通の奴なら貧乏を恥じて、挨拶にも来ぬところじゃが……」

 生存している老看守某の話によると、奈良原到の須崎典獄時代には、囚人の奈良原を恐るる事、想像の外であったという。ドンナに兇猛な囚人でも、奈良原典獄が佩剣《はいけん》を押えて、
「その縄を解け。こっちへ連れて来い」
 と云って睨み付けると、今にも斬られそうな殺気に打たれたらしい。眼を白くして縮み上ったという。
 或る夜のこと、死刑にする筈の四人の囚人が、破獄したという通知が来たので、奈良原典獄は直ぐに駈付けて手配をさせた。そうして自身は制服のままお台場の突角《とっかく》に立って海上を見渡していると、やや暫くしてから足下の石垣をゾロゾロ匐《は》い登って来る者が居る。よく見ると、それがタッタ今破獄したばかりの四人の囚人たちで、海水にズブ濡れのまま到翁の足下にひれ伏して三拝九拝しているのであった。
 後から取調べたところによると、その囚人はトテも兇暴、無残な連中で、看守をタタキ倒して破獄の後《のち》、お台場の下に浮かべてある夥しい材木の蔭に潜んで追捕の手を遣り過し、程近い潮場の下の釣船を奪って逃げるつもりであったが、その中《うち》に四人の中の一人が、
「……オイ……石垣の上に立って御座るのがドウヤラ典獄さんらしいぞ」
 と云うと皆、恐ろしさに手足の力が抜けて浮いていられなくなった。歯の根がガチガチ鳴り出して、眼がポオとなってウッカリすると波に渫《さら》われそうになって来たので四人がだんだん近寄って来て……これはイカン。こんな事ではドウにもならんから、破獄を諦らめよう。一思いに奈良原さんの前に出て行って斬られた方がええ……という事に相談がきまると、不思議にも急に腰がシャンとな
前へ 次へ
全90ページ中44ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング