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「独逸《ドイツ》の医学も底が見えて来ましたね。たとえばインシュリンの研究なんか……」
なぞと引っ冠《かぶ》せて来るから肝を潰してしまう。その肝の潰れた博士を選んで法螺丸は、政界の有力者の処へ腎臓病のお見舞に差し遣わすのだから深刻である。
禅宗坊主が寄附を頼みに来ると法螺丸曰く、
「禅宗は仏教のエキスみたいなものですな。面壁九年といって、釈迦一代の説法、各宗の精髄どころを達磨《だるま》という蒸溜器《ランビキ》に容《い》れて煎《せん》じて、煎じて、煎じ詰める事九年、液体だか気体だかわからない。マッチで火を点《つ》けるとボーッと燃えてしまって、アトカタも残らない。最極上のアルコールみたいな宗旨が出来上った。ところで、それは先ず結構としても、その最極上のアルコールをアラキのまま大衆に飲ませようとするからたまらない。大抵の奴は眼を眩《ま》わして引っくり返ってしまう。それから中毒を起して世間の役に立たなくなる。物を言いかけても十分間ぐらい人の顔をジイッと見たきり返事をしないような禅宗カブレの唐変木《とうへんぼく》が出来上る。又は浮世三|分《ぶ》五|厘《りん》、自分以外の人間はミンナ影法師ぐらいにしか見えない。義理人情を超越してしまうから他人の物も自分のものも区別が付かない。女も、酒も、金も、職業も要らない。その代り縦の物を横にもしない。電車に乗せるたんびに終点まで行ってしまうような健康な精神病者や痴呆患者が出来上る。そんな禅宗病患者が殖《ふ》えたら日本は運の尽きだと思いますよ。私も考えますから、貴方がたもよく考えて下さい」
といったような事を云われると、相手も宗教の問答に来たのじゃない。寄附を頼みに来た弱味があるのだから歩《ぶ》が悪い。「喝《かつ》」とも何とも云わずに帰ってしまう。
潰れかかった銀行屋さんが来て、救いを求めると、法螺丸は背中を撫でてやらんばかりにして慰める。曰く、
「そんなに心配しているとその心配で銀行が潰れてしまうよ。百円紙幣が銀行を経営しているのじゃない。人間が百円紙幣を使って銀行をやっているんだから、人間さえシッカリしておれば、潰れる気づかいはないもんだよ。金《かね》が無くなると同時に銀行が潰れるように思うのは、世間を知らないで算盤《そろばん》ばっかり弾《はじ》いている人間特有の錯覚なんだよ。ウンと頑張り給え。世間は広いんだ。人間万事、気で持
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