発《らんぱつ》している。その空小切手を掴んだ連中は、その空小切手を潰されちゃ堪らないもんだから、寄ってたかってその空小切手を裏書きすべく余儀なくされているのだ。福沢桃介が法螺丸にシテヤラレた話だって、眉唾《まゆつば》ものかも知れないんだよ」
と狐を落すように卓《テーブル》をたたいても、
「イヤ。たしかに法螺丸は豪《えら》いと思うね。それだけの空小切手を廻すだけでも、並の人間には出来ない事じゃないか」
といったような事になってしまう。
事実、法螺丸の法螺は、大隈重信の法螺とは段違いのところがある。少くとも大隈重信の法螺は、百科辞典の範疇を出《い》でないのに対して、法螺丸の法螺はたしかに百科辞典を超越した一種の洒落気《しゃれけ》と魔力とを兼ね備えている。たとえば医学博士を掴まえて医術の講釈をこころみ、禅宗坊主を向うに廻わして禅学の弊害を説教する。三井物産の重役が来ると不景気の救済策を授け、外務大臣が来ると軍部の実力を説いて感心させ、軍部の首脳部と会談すると外交の妙諦を説法して頭を掻かせる。皆、彼、法螺丸一流の悪魔のような理解力と、記憶力を基礎として、彼一流の座談の妙諦を駆使した、所謂、巧妙な空小切手であるのみならず、三時間でも五時間でもタッタ一人で喋舌《しゃべ》っておいて、そんな連中が帰ると直ぐに、あとから訪問して待っていた客に、
「イヤ。どうもお待たせしました。彼奴《きゃつ》が来ると長尻でね。僕の所を煩悶解決所と心得て一人で喋舌って帰るのでね」
なぞとズバズバやるので、相当気の強い連中でもグラグラと参ってしまう。法螺丸の法螺がイヨイヨ後光がさして来る事になる。
次に、法螺丸の法螺の実例を列挙してみる。
医学博士を掴まえて曰《いわ》く、
「医者という商売は、商売とは云えませんね。何より先に脈を手に取る瞬間から、こいつを殺してやろうとは思っていない。たしかに助けてやろうと思っているのだから、商売とは云い条、全然、商売気を離れている。人の面《つら》さえ見れば儲けてやろうと思っている奴ばかり多い世の中にタッタ一つ絶対に信用出来るのはお医者様ですね」
と来るから大抵の医学博士は感心してしまう。すっかり喜んでしまって、自分の苦心談や、研究の内容なぞをドン底まで喋舌ってしまう。法螺丸は又、そいつを地獄耳の中に細大洩らさずレコードしておいて、ほかの医学博士に応用する
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