それから後《のち》の彼は実際、目的のために手段を選まなかった。そうして乾児《こぶん》らしい乾児を一人も近づけないまま、万事タッタ一人の智恵と才覚でもって着々として成功して来た。
彼はソレ以来いつも右のポケットに二三人の百万長者を忍ばせていた。そうして左のポケットにはその時代時代の政界の大立物を二三人か四五人忍ばせつつ、彼一流の活躍を続けて来た。「俺の道楽は政治だ」と口癖のように彼は云い続けて来たのであるが、しかし彼が果して、どんな政治を道楽にして来たか、知っている者は一人も居ない。同時に彼の左右のポケットに入れられている財界、政界の巨頭連が、どうして彼のポケットに転がり込んで来たか……もしくは転がり込ませられて来たか、知っているものは一人も居ないようである。そうして唯驚いて、感心して、彼の事を怪物怪物と評判して、彼のためにチンドン屋たるべく利用されているようである。
事実、彼は現代に於ける最高度の宣伝上手である。彼に説明させると日清日露の両戦争の裡面の消息が手に取る如くわかると同時に、その両戦役が、彼の指先の加減一つで火蓋を切られた事が首肯されて来る。世人はだから彼を綽名《あだな》して法螺丸《ほらまる》という。しかし一旦、彼に接して、彼の生活に深入りしてみると、その両戦役前後に於ける朝野の巨頭連は皆、彼の深交があった事がわかる。事ある毎《ごと》に彼に呼び付けられて、お説教を喰って引退っていた事が、事実上に証明されて来る。そこで、イヨイヨホントウに心の底から驚いて、彼に何等かの御利益を祈願すべく、お賽銭《さいせん》を懐《ふところ》にして参詣して来る実業家が何人居るかわからない。そうして彼が絶対にお賽銭を取らない神様である事がわかるにつれてイヨイヨ崇拝敬慕の念を高める事になって来る。
そんな人間にはイクラ云って聞かせる者が居てもわからない。
「君は法螺丸の法螺に引っかかっているのだ。そんな朝野の名士連は、皆、法螺丸に一身上の秘密や弱点を握られているか又は、彼等自身が法螺丸の巧妙、精密を極めた話術に魅せられて、法螺丸にそれだけの実力があるものと信じさせられているのだ。彼が古今無双のシャーロック・ホームズであると同時に、前代未聞のアルセーヌ・ルパンである事を君は知らないのだ。彼はそんな調子で現代日本の政界財界に、あらゆる機会を利用して法螺の空《から》小切手を濫
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