谷医学博士、福岡随一の無鉄砲有志、古賀壮兵衛氏、現|釜山《ふざん》日報主筆、篠崎昇之助氏、その他、水茶屋《みずぢゃや》券番《けんばん》の馬賊五人組芸者として天下に勇名を轟かしたお艶《えん》、お浜、お秋、お楽、等々その中心の正座が勿体なくも枢密院顧問、八代大将閣下であっただけに極めて厳粛な箸《はし》の上げ卸《おろ》しで、話題は八代閣下の松葉の食料法を武谷博士、林駒生氏が固くなって謹聴し、記者として列席していた筆者がシキリにノートを取っている……といった場面であったように思う。
ところへ表の扉《ドア》がガラリと開いて、湊屋の仁三郎が這入って来た。春雨に濡れた問屋張《といやばり》の傘を畳んで、提げて来た中鯛を五六匹土間に投出したスタイルは、まことに板に附いたもので、浴衣の尻を七三に端折《はしお》った素跣足《すはだし》である。親友の林駒生氏が振返って声をかけた。
「おお。湊屋じゃないか。この寒いのに風邪を引くぞ」
湊屋は頬冠《ほおかむり》を取って手を振った。
「イカンイカン。これは医学博士でも知らん。自動車に乗る人間には尚更わからん。日本人一流、長生きの法たい」
「今その長生き話が出とるところじゃ。貴公の流儀を一つ説明してみい」
「説明もヘッタクレもあれあせん。雨の降る日に傘さいて跣足《はだし》で歩きまわれば、それで結構……そこで『オオ寒む』とか何とか云うてこの中鯛で一杯飲んでみなさい。明日《あした》死んでも思い残す事あない」
「アハハハ。賛成賛成」
武谷博士が妙な顔をした。蓋《けだし》、同博士は同大学切っての謹厳剛直の士で、何事に限らず科学的に説明の出来ないものは一毫も相容れない性分であったので、八代大将の松葉喰いの話で少々お冠《かんむり》を曲げて御座るところへ、湊屋一流の無学文盲論が舞込んで来たのでまさか議論の相手にもならず、ますます御機嫌が傾いた次第であった。しかし湊屋仁三郎は博士であろうが元帥《げんすい》であろうが驚ろかなかった。サッサと裏へ廻って足を洗って上って来た。
「ヘエ。皆さん。今晩は……今台所の婆さんに洗わせよる、昨夜《ゆんべ》まで玄海沖で泳ぎよった魚じゃけに、洗いに作らせといた」
「ちょうど今長生きの話が出とるところじゃったが、ええところへ来た。貴公なんぞは長生きの大将と思うが……そんな気持ちはせんか」
と杉山茂丸氏が水を向けた。
「ハハハ。人間
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