仁三郎の友人に水野某という青物問屋の主人があった。その又二人の友人で又木某という他県人の青物仲買人があった。その又木某は身寄タヨリのない全くの独身者《ひとりもの》で、兼てから湊屋仁三郎と水野某を保証人として何千円かの生命保険に加入していた。又木|曰《いわ》く、
「俺は篠崎にも水野にも一方《ひとかた》ならぬ世話になった。俺の家《うち》は代々胃癌で死ぬけに、俺も死ぬかも知れぬ。それで万一俺が死んだなら一つ頼むけに俺の葬式をしてくれい。ナア」
涙もろい二人は喜んで証書に印判を捺《お》したものであった。もとより無学文盲の二人の事とて、法律の事なんか全く知らず、盲判《めくらばん》も同然で金額なども全然忘れたまま仲よく交際していた。
ところがどうした天道様の配り合わせか、間もなくその又木が四十五歳を一期として胃癌で死んだ。お蔭で思いがけない巨額の金が、二人の懐《ふところ》に転がり込んだので二人は少なからず面喰った。
「何でも構わぬ。約束は約束じゃ。出来るだけ賑やかに葬式をしてやれ」
というので立派な石塔を建てた上に永代|回向《えこう》料まで納めてしまったが、それでも余った相当の金額を持ってソンナところは無暗《むやみ》に義理固い篠崎、水野の両保証人が、又木の本籍地へ乗込んだ。色々身よりを探しまわって又木の後を立てるべく苦心したが、その又木のアトがどうしてもわからない。そこで……これでは詰まらん博多へ帰ろう。又木の菩提追福のためにこの金《かね》を潔く女共へ呉れてしまおう……というので仕事の休み序《ついで》に柳町に押上り、あらん限りの太平楽を並べて瞬く間に残金を成仏させて帰った。そうして帰ると直ぐに二人で一パイ飲んだ。
「ああ清々した。しかし水野、保険というものはええものじゃねえ」
「ウン。こげな有難い物《もん》たあ知らんじゃった。感心した。又誰か保険に加入《はい》らんかな」
「おお。そういえばあの角屋の青柳喜平はまあだ三十四五にしかならんのに豚の様《ごと》ブクブク肥えとる。百四五十|斤《きん》位あるけに息が苦しいとこの間自分で云いよった。あの男なら四十位になると中風《ちゅうき》でコロッと死ぬかも知れんぜ」
「うむ。アイツの親爺《おやじ》も中気で死んどる。彼奴《あいつ》は保険向きに生れとる事をば、自分でも知らずにいるに違いない」
「貴様は何でも勧め上手じゃケニ一つ行《い》て教
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