が片付かぬ中《うち》に二人は、代る代る手を出して背後《うしろ》の小丼の中味を抓《つま》んだ。
「ハハン。この家のおっさん[#「おっさん」に傍点]のガッチリして御座るのには呆れた。両方儲かる話が、わからんチウタラ打出の小槌でたたいても銭《ぜぜ》の出んアタマや……ハハン。買うて下はらぬ位なら他の店へ行くわい」
 とか何とか棄科白《すてぜりふ》で、大手を振って棕梠箒売が引返して来た時には、小丼の中にはモウ濁った醤油と、生姜の粉が、底の方に淀んでいるだけであった。
 箒売は土間の真中に突立ったまま唖然となって、上機嫌の二人を眺めておった……が、やがてガラリと血相を変えると、知らん顔をして指を舐《な》めている仁三郎に喰って蒐《かか》った。
「……アンタ等は……ダ……誰に断って、この肴《さかな》をば、抓《つま》みなさったカイナ」
 湊屋がゲラゲラ笑い出した。
「アハハ、途方もない美味《うま》か鰤じゃったなあ。ホーキに御馳走様じゃった。まず一杯差そうと云いたいところじゃが、赤桝《ます》の中はこの通り、逆様《さかさま》にしても一しずくも落ちて来んスッカラカン……アハハハハ。スマンスマン……」
 真青になって腕を捲くった箒売が、怒髪天を衝《つ》いた。
「済まんで済むか。切肉《きりみ》を戻せッ」
 仁三郎は柔道の免許取りであっただけにチットも驚かなかった。
「イヤ、悪かった。猫に干鰯《ほしか》でツイ卑しい根性出いたのが悪かった」
「この外道等……訳のわからん文句を云うな。ヌスット……」
「イヤ。悪かった悪かった。冗談云うて悪かった。博多の人間《もん》なら仁輪加で笑うて片付くが、他国《たび》の人なら腹の立つのも無理はない。悪かった悪かった。ウチまで来なさい。返済《まどう》てやるけに。ナア。この通り謝罪《ことわり》云うけに……」
 元来が温厚な仁三郎は、見ず知らずの箒売の前に鉢巻を取って平あやまりに謝罪《あやま》った。
「貴様の家《うち》まで行く用はない。金が欲しさに云いよるのじゃないぞ。今喰うた切肉《きりみ》を元の通りにして返せて云いよるとぞ」
 押が強くて執念深いのが箒売の特色である。その中でも特別|誂《あつら》えの奴と見えて、相手は二人と見ても怯《ひる》まなかった。因縁を附けてイタブリにかかる気配であった。
「他国《たび》の人間《もん》と思って軽蔑するか。一人と思うて侮るか。サア鰤を
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