思うならば請う、刮目《かつもく》して次回を読め!
(中)
諸君は博多|二輪加《にわか》の名を御存じであろう。御覧にならない方々のためにチョッと知ったか振りを御披露申上げておくが、博多二輪加の本領というものは、東京の茶番狂言や、大阪二輪加なぞと根本的に仕組みの違ったもので、一切の舞台装置や、台本なぞいう面倒なものの御厄介にならない。普通在来の着のみ着のままに、半面《めかつら》をかけて舞台に上るなり、行きなり放題の出会い頭にアッと云わせたり、ドッと笑わせたりするのがこのニワカ芸術の本来の面目である(註曰――現在では台本や装置、扮装に凝《こ》って、単に普通の喜劇を、博多言葉に演ずる程度にまで堕落してしまっている)。だから本来の博多仁輪加では、その出演者同志がお互いに、人生、人情、世態に通暁徹底していなければいけない。お互いに舞台上の演出効果――蔭の花を持たせ合って、透《す》かさず舞台気分を高潮させ合い、共同一致のファインプレイを演出し合うだけの虚心坦懐さがなければ仁輪加の花は咲かない。この生活苦と、仁義、公儀の八釜《やかま》しい憂世《うきよ》を三分五厘に洒落《しゃれ》飛ばし、上《かみ》は国政の不満から、下《しも》は閨中《けいちゅう》の悶々事《もんもんじ》に到るまで、他愛もなく笑い散らして死中に活あり、活中死あり、枯木に花を咲かせ、死馬に放屁せしむる底《てい》の活策略の縦横|無礙《むげ》なものがなくては、博多仁輪加の軽妙さが生きて来ないのである。
湊屋の大将こと、篠崎仁三郎は、その日常の生活が悉《ことごと》くノベツ幕《まく》なしの二輪加の連鎖であった。浮世三分五厘、本来無一物の洒々落々《しゃしゃらくらく》を到る処に脱胎《だったい》、現前しつつ、文字通りに行きなりバッタリの一生を終った絶学、無方の快道人であった。古今東西の如何なる聖賢、英傑と雖《いえど》も、一個のミナト屋のオヤジに出会ったら最後、鼻毛を読まれるか、顎骨《あごぼね》を蹴放《けはな》されるかしない者は居ないであろう。試みに挙《こ》す。看よ。
前回の通り、親友の生胆《いきぎも》を資本《もとで》にして、長崎の鯨取引に成功した湊屋仁三郎は、生れ故郷の博多に錦を? 飾り、漁類問屋をやっている中《うち》に、日露戦争にぶっつかり、奇貨おくべしというので大倉喜八郎の牛缶に傚《なら》って、軍需品としての魚
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