――ム。棄てるなら……助けると思うて……酒屋の前へ棄ててくれい。昨夜《ゆうべ》の釣銭《つる》をば四円二十銭置いて行《い》てくれい』
『ウハッ……知っとったか。外道《げどう》サレ』
そんな事で向うの禅宗寺へ逃込みますと、有難いことにその和尚という奴が、博多の聖福寺《しょうふくじ》から出た奴で、私たちの友達ですケニなかなか人物が出来《でけ》ております。
『ワハハハ。それは芽出度《めでた》い。人間そこまで行《い》てみん事には、世の中はわからん。よろしい引受けた。その支那人なら私も知ってる。ウチの寺へ石塔を建てて、その細工賃を一年ばかり石屋へ引っかけて、拙僧《わし》に迷惑をかけとる奴じゃ。ええ気味《きび》じゃええ気味じゃ。文句附けに来たら私が出てネジて上げる。心配せずに一杯飲みない。オイ。了念了念。昨夜《ゆんべ》の般若湯《はんにゃとう》の残りがあろう。ソレソレ。それとあのギスケ煮(博多名産、小魚の煮干《にぼし》)の鑵を、ここへ持って来なさい』
というたような事でホッと一息しました。その寺で大惣に養生をさせまして、それから三人で平戸の塩鯨の取引を初めましたのが運の開け初めで、長崎を根拠《ねじろ》にして博多や下関へドンドン荷を廻わすようになりましたが、その資本《もとで》というたなら、大惣の生胆《いきぎも》一つで御座いました。人間、酒と女さえ止めれば、誰でも成功するものと見えますナア。ハハハハ……」
湊屋仁三郎の逸話は、この程度のものならまだまだ無限に在る。仁三郎の一生涯を通ずる日常茶飯が皆、是々的《このて》で、一言一行、一挙手一投足、悉《ことごと》く人間味に徹底し、世間味を突抜けている。哲学に迷い、イデオロギイに中毒して、神経衰弱を生命《いのち》の綱にしている現代の青年が、百年考えても実践出来ない人生の千山万岳をサッサと踏破り、飄々乎《ひょうひょうこ》として徹底して行くのだから手が附けられない。もしそれ百尺|竿頭《かんとう》、百歩を進めた超凡越聖《ちょうぼんおっしょう》、絶学《ぜつがく》無造作裡《むぞうさり》に、上《かみ》は神仏の頤《あご》を蹴放《けはな》し、下《しも》は聖賢の鼻毛を数えるに到っては天魔、鬼神も跣足《はだし》で逃げ出し、軒の鬼瓦も腹を抱えて転がり落ちるであろう。……こうした湊屋仁三郎一流の痛快な消息のドン底を把握し、神経衰弱の無限の乱麻を一刀両断しようと
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