宿に帰って来ると泣面《なきつら》に蜂という文句通りに、大惣が大熱を出いて、煎餅布団をハネ除《の》けハネ除《の》け苦しがる。今で云う急性肺炎じゃったろうと人は云いますが、お医者に見せる銭《ぜに》なぞ一文も在りませんけに、濡手拭《ぬれてのごい》で冷やいてやるばっかり。そのうちに大惣がクタビレて来たらしく、気味《きび》の悪いくらい静かになって来た。半分開いた眼が硝子《ビイドロ》のゴト光って、頬ベタが古新聞のゴト折れ曲って、唇の周囲《ぐるり》が青黒う変《な》って、水を遣っても口を塞ぎます。洗濯板のようになった肋骨《あばらぼね》を露出《こっくりだ》いてヒョックリヒョックリと呼吸《いき》をするアンバイが、どうやら尋常事《ただごと》じゃないように思われて来ました。
そのうちに夜が更けて二時か三時頃になります。背後《うしろ》の山手《やまのて》でお寺の鐘が、陰に籠ってゴオオ――ンンと来ますと、私は、もうイカンと思いました。スヤスヤ寝入っとる大惣を揺り起いて耳に口を寄せました。
『……大惣……大惣……』
大惣が返事の代りに私の顔をジイット見ます。
『貴様はモウ詰まらんぞ』
何度も何度も大惣が合点合点しました。涙を一パイ溜めております。
『……イロイロ……セワニ……ナッタ……』
『ウム。そげな事あドウデモよかバッテン、イッソ死ぬなら俺へ形見ば遣らんか』
大惣は寝たまま天井をジイッと見した。
『……シネバ……シネバ……何モイラン……何デモ遣ルガ……何モナイゾ……』
『ホンナ事に呉れるか』
『……ウム。オレモ……ダイ……大惣じゃ』
『よし、それなら云おう。貴様が死んだなら済まんが、貴様の生胆《きも》ば呉れんか』
大惣が天井を見たままニンガリと物凄く笑いました。
『ウム。ヤル。臓腑《ひゃくひろ》デモ……睾丸《きんたま》デモ……ナンデモ遣ル。シネバ……イラン』
『よしっ。貰うたぞ。今……生胆《きも》の買手をば連れて来るケニ、貴様あ今にも死ぬゴトうんうん呻唸《うめ》きよれや』
大惣が今一度、物凄くニンガリしながら合点合点しました。私は直ぐに木賃宿を飛出しました。
その頃は長崎に、支那人の生胆《いきぎも》買いがよく居りました。福岡アタリの火葬場にもよくウロウロしおりましたそうで……真夜中でも何でも六神丸の看板を見当てにしてタタキ起しますと、大抵手真似で話が通じましたもので、私は日本語の
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