》でね。引かされたといっても自前になっただけで、お座敷はやっぱり勤めさせられていた。稼ぎ高は時々金兵衛が来てキチンキチンと計算する。台所のコマゴマした買物帳までも調べるという。ナカナカ抜目のないガッチリした親爺だったのだね。
 ところが又その愛吉の愛子という女がイクラか馬鹿に近い位、温柔《おとな》しい女なので、或る待合の女将《おかみ》が不憫がって、結局その方が行末のためだろうというので、金兵衛に世話したという話だったが、非道《ひど》い奴で、金兵衛は愛子の人の好いのに付込んで、稼ぎ高を丸々取上る上に、お客まで取らせていたというんだから呆れたね。算盤《そろばん》の強い奴には敵《かな》わないね。
 それから今度は捜索の手が、愛子の素姓調べに移った訳だが、そんな細かいところは面白くもないし、本筋に関係がないからヌキにしよう。とにかく愛子は某富豪華族の御落胤で、お定《さだ》まりの里子上りの養母《ははおや》に、煮て喰われようと焼いて喰われようと文句の云えない可哀相な身上であった事。三味線も踊りも、歌も駄目で、芸妓としては温柔《おとな》し過ぎる事、縹緻《きりょう》は十人並のポッチャリした方で、二十五だというのにお酌みたいに初々しい内気な女であった。それにチョットわからないが、非道《ひど》い近眼だったこと……これが一番大事な話のヤマなんだが、その近眼で人の顔をジイッと見る眼付が又、何ともいえず人なつっこい。見られた人間は、ちょっと惚れられているような感じを受ける事……アハハ。馬鹿にしちゃいけねえ。俺が自惚《うぬぼ》れた訳じゃねえんだ。誰にもそう思われたんだよ。
 それよりも事件発生以来、毎日毎日警視庁の無能を新聞に敲《たた》かれながら、ジイッと辛棒して、こうした余計な事をジリジリと調べてまわる俺達の苦労が並大抵じゃなかった事だけは同情しておいてもらいたいね。新聞記者なんてものは、そんなところにはミジンも同情しないからね。読者を喜ばせるのが商売だから、むしろ「警視庁の無能曝露」とか「犯人の大成功」とか書きたい気持で、まだですかまだですかと様子を聞きに来るんだからウンザリしちまわあ。イヤな商売だよ。全く……。
 ところが又、生憎《あいにく》な事にこの事件が、だんだんと新聞の註文に嵌《は》まりそうになって来た。この筋を辿って行けばキット何かにブツカルに違いないという、俺一流のカンが当っていたかいなかったか、愛子には今まで一人の情夫らしいものも居ない。念のために今までのお客の中で、好いたらしい事を云い合った者は居ないか。チョット惚《ぼ》れでもいいから居ないかと聞いてみたが、愛子はただポカンとして頭を左右に振るばっかりだから、しまいにはこっちが負けてしまった。頭の悪い奴はコンナ場合全く苦手だよ。殊に女にはコンナ種類の返事をする者が多いから困るんだ。
 実は愛子が惚れた男がチャント居たんだ。愛子はその男に、生れて始めての恋を感じているにはいたんだが、タッタ一晩、会ったキリだし、気の弱い女だもんだから自分でもチョット惚れのつもりでほかの苦労に紛れて、そのまんま忘れていたんだ。むろん其奴《そいつ》が犯人だったのだが……まあ……急《せ》かずと聞き給え。ここが面白いところなんだ。
 そんな訳で事件当時の愛子には、これぞという心当りが全くなかったんだから手の附けようがない。そうかといって愛子の取ったお客を一々調べ上げて、足を洗ってみるというのはトテモ大変な仕事だし、第一、それほどの確かな見込を附けていた訳じゃないんだから、そのままこの方面の捜索を打切る事にした。
 そうなると自然、捜索の方針が八方|塞《ふさ》がりになる訳だから、話が一番最初のところへ逆戻りして来る。つまり否《いや》が応でも兇器を発見して、その兇器から当りを付けて行かなければならない事になって来たが、その肝腎要《かんじんかなめ》の兇器が、事件発生以来どうしても見付からないのには弱らされたね。弱るも道理か……犯人はその兇器の文鎮をチャンと仕事場に持って帰って、ニッケル鍍金《めっき》を仕直して、毎日毎日製図の仕事に使っていたんだから、コレ位馬鹿馬鹿しい話はないんだが、こっちはソンナ事とは夢にも知らない絶体絶命だ。頼みの綱はコレ一つ……兇器さえ見付かればこっちのもの……東京市中を持ちまわって、一軒一軒|虱潰《しらみつぶ》しに出所を調べてまわっても構わない覚悟で、飯田町一帯の材木置場の隅から隅まで鋸屑《おがくず》を掻きまわしたもんだ。
 笑い事じゃないんだよ。一口に迷宮事件というけれども、迷宮事件の裏面にはコンナ苦労がドレ位積み重なっているか知れないのだよ。しまいには九段下から大手あたりのお堀へかけての大捜索まで遣ってもらったが、古バケツ、底抜け薬鑵《やかん》、古下駄、破れ靴、犬猫や、傘《からかさ》の骨以外
前へ 次へ
全7ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング