考えるとドウモ面白くなかったね。やはりこの事件を迷宮に逐《お》い込んだ原因になっていると思うんだ。長さ一尺以上、厚さ一分位の、一直線の重たい品物というので、みんな寄って色々考えてみたが、前に鉈の背中という言葉を聞いてたもんだから、それ以外の品物をドウしても考え付かない。まさかソンナ大きな文鎮《ぶんちん》が在ろうとは思わないからねえ。一直線の重たい、手頃の金属板……文鎮……製図屋と直ぐに思い付く程、頭のいい奴は実際にはナカナカ居ないものなんだ。探偵小説にはザラに居るかも知れないがね。そこで直接の証拠物件が見当らないとなると今度は情況の証拠という段取りになるだろう。
金兵衛の女房、店の番頭、若い者なぞを、手を分けて調べてみると、金兵衛は昨日《きのう》の夕方、夕飯を喰ってから、本郷の無尽講の計算に行って来ると云って、預っていた旧式の帳面と、九百円ばかりの金を店の金庫から取出して、イクラか這入《はい》った蟇口と一緒に懐中《ふところ》に入れた。落さないように懐手《ふところで》をしながら、帽子も何も冠《かぶ》らないままブラリと表口から出て行ったのを、女房と番頭が見ておった。それっきり昨夜《ゆうべ》は帰って来なかったが、毎月二十五日の無尽講の計算の日には、そのままどこかへ行ってしまって、帰って来ないのが通例になっていたから、みんな早く寝てしまった。
あくる朝……つまりその二十六日の朝になって、番頭と若い衆《しゅ》が、その日の中《うち》に深川の製材所から河岸《かし》に着く筈になっている樅《もみ》板の置場を見に行くと、直ぐに屍体を発見して大騒ぎになった。殺されるような心当りは一つもない……という至極アッサリした話……。
むろんそれから家内中の者を綿密に調べてみたが、怪しい者なんか一人も居ない。女房は締り屋の堅造《かたぞう》で、一高の優等生になっている柔順《おとな》しい一人息子の長男と一緒に、裏二階で十時頃まで小説を読んでいたが、怪しい物音や叫び声なんか一度も聞かなかった。又若い番頭は、店の表二階で焼芋を買って、十時過まで猥談をやっていたので、尚更、何も聞かんという訳でね。みんな今でいう現場不在証明《アリバイ》をチャンと持っている。金兵衛は相当ケチケチした親方らしいが、それでも人使いが上手《うま》かったのだろう。怨んでいる人間なんか一人も居ないらしいのだ。
コイツは又迷宮入りかな……といった感じが、そんな取調《とりしらべ》の最中にピンと頭へ来たがね。
しかし何しろ九百何円の金がなくなっている以上、殺人強盗という見込みなんだから事が重大だ。しかも、よっぽど前から金兵衛の日常の癖や何かを研究して知っている人間で、相当の腕力と元気のある奴だ。殊に日が暮れているとはいえ人家や、電車道に近い薄明るい処で、これだけの思い切った仕事を遣《や》っ付《つ》けている以上、生やさしい度胸ではない。事によると前科者かも知れない……という理窟から遠い親戚や無尽講の関係者、又は九段下界隈の前科者や無頼漢《ごろつき》なぞを出来るだけ念入りに洗ってみたが、これとても疑わしい奴は一人も居ない。その中でも、二十五日の晩に、湯島天神の境内に集まっていた無尽講の世話人連中は、肝腎の帳面と金を持っている金兵衛が来ないので、その晩の九時頃になって、飯田町の金兵衛の家《うち》に電話をかけた。すると女房の声で、もう着く頃だという返事だったので、夜中過ぎる頃迄酒を飲みながら待っていたが、それでも来ない。そこでモウ一度電話をかけてみたが、今度は誰も起きて来ないらしいので、殺されているとは夢にも知らずに、明日《あした》、金兵衛の処に押しかけて行く事にきめて皆ブツブツ云い云い帰って寝た。大方金兵衛は九百円の金を、ほかの事に廻わしたので、金策に奔走したままどこかへ引っかかっているんじゃないかと云う者も居たが、イヤ、金兵衛さんはお金の事ばかりはトテモ几帳面だから帳面を預けたんだ。そんな事をする気づかいは絶対にない。どうもおかしい……と云う者も居た。すると又……イヤ、金兵衛はこの頃、築地のどことかに妾《めかけ》を置いているという話だから何とも知れない、なぞ云う者が出て来てワイワイ云い合いながら別れた……という腹蔵のない連中の話なんだ。
ここで金兵衛の妾の話が出たので、直ぐに飛び付くように金兵衛の素行調べに移った訳だが、その妾というのは検番を調べてまわると直ぐに判然《わか》った。芳町《よしちょう》の芸妓《げいしゃ》で取って二十五になる愛吉というのが……本名はたしか友口愛子といったっけが、去年……明治四十年の暮に金兵衛から引かされて、築地三丁目の横町で、耳の遠い養母《おふくろ》と一緒に小さな煙草屋を遣っている。二階が押入、床の間附の六畳で、下が店の三畳に、便所に台所という猫の額みたいな造作《ぞうさく
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