けると、天幕《テント》の中に進み入って、安楽椅子の上に身を横たえた富豪貴人たちの前に、三拝九拝して捧げ奉るのです。
 富豪貴人たちはそこで、その茶器の蓋をした白紙を取除いて、生温《なまぬる》い湯をホンノ、チョッピリ啜《すす》り込むのです。むろん一口味わった時には、普通の白湯《さゆ》と変りが無いそうですけれども、その白湯を嚥《の》み下さないで、ジッと口に含んだままにしていると、いつとはなしに崑崙茶の風味がわかって来る。つまり紙の上に載っていた緑茶の精気が、紙を透した湯気《ゆげ》に蒸《む》されて、白湯の中に浸み込んでいるのだそうですが……。
 ……ドウデス。ステキな話でしょう。それはもう何とも彼《かん》ともいえない秘めやかな高貴な芳香が、歯の根を一本一本にめぐりめぐって、ほのかにほのかに呼吸されて来る。そのうちにアラユル妄想や、雑念が水晶のように凝《こ》り沈み、神気が青空のように澄み渡って、いつ知らず聖賢の心境に瞑合《めいごう》し、恍然《こうぜん》として是非を忘れるというのです。その神々《こうごう》しい気持よさというものは、一度|味《あじわ》ったらトテモトテモ忘れられないものだそうです。

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