「ハイ。トラホームで御座います」
私はイヨイヨ心の中で狼狽した。
「ナニ。トラホーム。ずっと前からかね」
「ハイ。古いもので御座います」
「医師《いしゃ》に見せたかね」
「ハイ。見せても治癒《なお》りませんので! ヘエ」
「それあイカンね。早く何とかせぬと眼が潰れるぜ」
「ヘエ。このような大雪になりますと、眼が眩《まば》ゆうて眩ゆうてシクシク痛みます。涙がポロポロ出て物が見えんようになります」
「ふうむ。困るな」
無愛想な私は、それっきり何も云わないまま、原稿紙と参考書の堆積に向き直って、セッセと仕事にかかったので、郵便配達手君も、そのまま敬礼して辞し去ったらしい。
私が郵便配達手君と言葉を交したのは、これが、最初の、最後であった。むろん名前なんかも問い試みるようなことをしなかった。
しかし私はその翌る日の大雪に、通りかかった吉という五十歳近い猟人に一通の手紙を托《たく》した。その内容は故郷の妻に宛てたもので大要次のような意味のものであった。
「今の俺の仕事場に一人の郵便配達手が来る。その郵便配達手君はトラホームにかかっていて、けんのんで仕様がない。そのトラホームをイジクリまわ
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