晴れ渡って、眼も遥かな頭の上の峯々には朝日が桃色に映じていた。その峯々から蒸発する湯気が、薄い真綿《まわた》のような雲になって青い青い空へ消え込んで行くのが、神々《こうごう》しい位、美しかった。しかしこれに反して私が辿《たど》って行く岨道は、冷たいペパミント色の薄暗《うすやみ》に蔽われて、木の下の道なぞは月夜のように暗かった。時々ドドーオオン、ドドーオンという遠雷のような音が聞こえて来るのは、どこかの峯の雪崩《なだ》れの音であったろうか。
 しかし私にはソンナ物音を聞き分けてみるなぞいう心の余裕が、いつの間にか無くなっていた。
 私は間もなく雪の岨道を歩く困難が、想像のほかであることを思い知り初めた。その新しく辷《すべ》り落ちて来た軽い、深い粉末の堆積の中に落ち込み落ち込み、掻き分け掻き分け進んで行くうちに瞼がヒリヒリと痛くなり、鼻の穴がシクシクと疼《うず》き出し、息も絶え絶えになって一《ひ》と休みすると、忽ち零下何度の酷寒を感じ初めるので、又も匐《は》うようにして歩き出す苦しみは、経験のある人でなければわからない。
 私はとうとう向うへ行く勇気も、後へ引返す元気も全く無くなって、雪の
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