銀次は、広間の事務室の卓子《テーブル》の上に飛上った。手に触れた硯箱《すずりばこ》を追い縋《すが》って来る小女めがけてタタキ付けると、書類を蹴散らしながら机の上を一足飛びに玄関へ出た。その腰に獅噛《しが》み付いた小女は、いつの間に奪い取ったものか銀次の匕首《あいくち》を、うしろ抱きにした銀次の肋骨《あばら》の下へ深く刺し込んだまま、ズルズルと引擦られて行った。
「父サンの仇讐《かたき》……丹波小僧……思い知ったか……丹波小僧……」
 と叫び続けていた。そうして銀次と絡《から》み合ったまま玄関の石段を真逆様《まっさかさま》に転がり落ちると、小女は独りでムックリと起き上って、頭から引っ冠《かむ》せられた銀次の着物と帯をはね除《の》けた。倒れた椅子を避《よ》け避け追いかけて来る警官を振り返って、擦り剥けた顔でニッコリと笑った。
 それから血に染まった匕首と両手を、向家《むかい》のペンペン草を生やした屋根の上の青空の方向に高く挙げて力一パイ叫んだ。悲痛な甲高い声で、
「……皆の衆……皆の衆すみまっせん。私はお花じゃが……もう私は帰られんけに……帰られんけに……」
 と云ううちに、銀次の身体《か
前へ 次へ
全33ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング