人間が在ると、藤六は眼敏《めざと》く見付けて、眼に立たないように何かしら懐中《ふところ》から出してやって立去らせるのであった。立去るうしろ姿を見ると老人、女、子供は勿論のこと血気盛んな……今で云うルンペン風の男も交っていた。
お客の居ない時なんぞは、母子《おやこ》連れの巡礼か何かに、何度も何度も御詠歌を唱わせて、上口《あがりぐち》に腰をかけたまま聞き惚れているような事がよくあった。そのうちにダンダン感動して来ると、藤六の血色のいい顔が蒼白く萎《しな》びて、眉間に深い皺《しわ》が刻み出されて、やがてガックリと頸低《うなだ》れると、涙らしいものをソッと拭いているような事もあった。そんな場合には巡礼に一升ぐらいの米と、白く光るお金を渡しているのが人々の眼に付いた。
麦の穂が出る頃になると藤六は、やはり店に人の来ない時分を見計らって、家の周囲の麦畑へ出て、熱心に麦の黒穂《くろんぼ》を摘んでいる事があった。これも藤六|老爺《おやじ》の一つの癖といえば云えたかも知れないが、しかし近所の人々は、そうは思わなかった。やはり仏性《ほとけしょう》の藤六が、閑暇《ひま》さえあればソンナ善根をしているもの
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