おりましたが、お父様は矢張りこんな風に昔の名前を云っておられました)にお預けになるので、お母様はほんとうにお仕事の地獄に落ちておいでになるようで御座いました。

 けれども、それでもお母様のお仕事は、ほかの処のより念が入っておりました。
 頭の毛は極く安いものでないかぎり黒繻子の糸をほごして一本一本に植えて、小さな指先まで綿をくくめて爪を植えて、着物もそれぞれの恰好にふくら味を持たせた上に、色々の模様を切りつけたものですが、その模様も一つ一つ織り目が合わせてありますために織り出したもののように手際よく見えるのでした。お正月の羽子板も大きなのになりますと板ばかりでなく、張り抜きにした上の方を刳《く》り抜いて、戸障子や手水《ちょうず》鉢、石燈籠、植え込みなぞいう舞台の仕掛けものや、書き割りなどの模様を提灯《ちょうちん》の絵描きに頼むのですが、お母様はそれを御自分の押絵に合うように、お縁側に持ち出して、いろいろな胡粉《ごふん》で塗ったり乾かしたりしてお描《か》きになりました。それから押絵の下絵は、お母様が錦絵を二十枚ばかり持っておいでになるのと、お弟子から借りてお写しになった沢山の下書きの中
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