げ証を引いて説明せしかば、王の疑《うたがい》ようやくにして解け、王妃と黒奴との冤罪《えんざい》も残りなく晴れて、唯、彼《か》の黒奴の肖像画のみが廃棄焼却の刑に処せられきとなん。これ即ち法医学の濫觴《らんしょう》にして、律法の庭に医師の進言の採用せられし嚆矢《こうし》なりと聞けり。
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◇訳者曰く=支那に伝われる胎教なるものも、このヒポクラテスの見地より見る時は強《あなが》ちに荒唐無稽の迷信として一概に排斥すべきものに非ず。或《あるい》は、最も高等なる科学的の研究手段によりてのみ理解され得べき、深遠微妙なる学理原則のその間《かん》に厳存せるものなしと云うべからず。心すべき事にこそ。
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 又、次に掲ぐるは、今より約二十年前(西暦一八六六年)我英国の法曹界に於て深甚なる注意の焦点となり、海外の専門雑誌にも伝えられし事件なれば、或は記憶に新なる読者もあるべけれども、未知の人々のために抄録せむに、蘇格蘭《スコットランド》の片田舎(地名秘)に住める貴族にして赤髪富豪のきこえ高きコンラド(仮名)従男爵というがあり。年四十に及びて数|哩《マイル》を隔てたる処
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