するうちに、私の顔を御覧になるとフイと妙な顔になって、口を噤《つぐ》まれました時の心苦しさ。切なさ。子供ながらに級全体のお友達の視線が、私の身体《からだ》に焼きついているように思って、うつむいて泣いておりました時の情なさ。
「こちらには中村半太夫の舞台姿にソックリの娘さんが居るそうですが、チョット見たいものですネエ」
 というお客の声に対して柴忠さんが、
「ヘエ。それは今お茶を持って来ましょうから、その時によう御覧なさいませ。ハハハハハ」
 と力なく笑われる声を、障子の外で聞きまして、そのまま、お納戸《なんど》に隠れて泣き伏しました時の口惜しう御座いましたこと。
 それから又、私はすこし大きくなりますと、身体の疵《きず》を人に見られるのが恥かしくてたまらないようになりましたので、ソッと奥様にお願いしまして、わざと夜中過ぎに、奥のお湯に入れていただいておったので御座いますが、或る冬の夜《よ》のこと、切り戸の外で、
「見えようが……」
「ウン。見える見える。恐ろしい大きな疵ばい。ナルホド……」
 というような下男たちの囁《ささや》きが聞こえましたので、そのまま浴槽《ゆぶね》のなかに首まで沈みながら、お湯が冷たくなるまで我慢しておりました時の情のう御座いましたこと……あとでふるえながら夜具の中にちぢこまって、夜通し寝もやらずに泣いて泣いて泣き明かした事でございました。私のお母様に限ってそんな事をなさる筈がない……と幾たび思い直そうとしましても、私の眼鼻立ちが中村珊玉様の舞台姿に似ているという事実ばかりは、どうにも致しようがないのでした。
 そればかりでは御座いません。私が東京に行こうと決心致しましたに就きましては、私自身にもわかりませぬ、もっともっと不思議なわけがあるので御座いました。
 私はそんな風にして泣かされているにはおりましたものの、それでも毎晩お終《しま》い湯に這入りましてお掃除を済ましたあとで、お湯殿の姿見鏡《すがたみ》をのぞいて見ないことは御座いませんでしたが、その中《うち》に、いつからともなく奇妙な事に気がつきはじめました。それは私の思いなしか、それともその日その日の気もちから来たことも御座いましたでしょうか。そんな風にして柴忠さんのお家中《うちじゅう》が寝静まられた後《あと》に、たった一人でお湯殿の鏡に向い合っておりますと、その中に映っております私の顔が、だんだんとあなたのお父様に似て参りますばかりでなく、あの櫛田神社の絵馬堂の額になっております犬塚信乃の顔と、阿古屋の顔と二つのうち、どちらか一つに似て来ますので、それが又、日によりまして昨日《きのう》は信乃の顔……今夜は阿古屋の顔という風に、まるで感じが違っている事に気がついたので御座いました。
 それは何とも申しようのない……ただ私一人だけしか気づいておりませぬ不思議な出来事で私は毎晩毎晩それを見るのが、云うに云われぬ一つの秘密の楽しみにさえなって来たので御座いました。何だか存じませぬがそうした事が、みじめにも短かい一生をお送りになったお母様の、人間の世界に対する復讐ではないかとさえ思われて来まして、われと自分のやわらかい、あたたかい頬を押えながらゾーッと致しますことがよくありました。
 私は普通の女の子ではない。お母様のこの世に残された思いの固まりなのだ。……この上もなく美しく、又となくむごたらしい目に遭《あ》いながら、何も仰有らずにお果てになったお母様のお心が、そのままに私の姿にあらわれているのだ。私はこうしたお母様の怨《うら》みが尽きるまで生きておればそれでよいのだ。……ああお母様……私はこうして達者に生きております。……けれども……けれども私はこれからどうしたらいいのでしょうか。……ああお母さん……。というような気持ちを鏡の中の自分の顔に問いかけながら、涙を流したことも度々で御座いました。
 そうかと思いますと……お笑いになるかも知れませんけど……そんなにして泣きましたあとで、嬉しいのか悲しいのかわからぬ空《から》っぽのような気もちになりますと、鏡の中の自分の顔をあの唇を噛みしめて刀を振り上げている勇ましい信乃の表情にしてみたり、琴を弾いている阿古屋の悩ましい姿にしてみたりして遊んでは、たった一人で気持ちよくホホと笑うことさえありました。そうして、それがお母様の世間に対する腹癒《はらい》せであるかのように思われまして「不義者の子」という名前が、何ともいえず気持ちよくさえ思われて来るので御座いました。
 こんな事まで申上げて、失礼とは存じますけれどこれは私の十二の年から十四五歳になります間のことで、私が何となく、男の方の御親切を喜ばぬような性質になりましたのも、その頃の事ではなかったかと思われるので御座います。
 けれども、そのうちに十四五にもなりますと、
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