何をッ……又してもぬけぬけと……」
「イイえ……こればっかりは正《まさ》しく……」
「エエッ……まだ云うかッ……」
「イエ……こればかりは……」
「黙れッ……ならぬッ」
 とお父様が仰有る途端に私を、お突き放しになりましたので、私はバッタリと倒れて、お琴の上にひれ伏しました。それと一緒に琴柱《ことじ》が二つか三つたおれてパチンパチンと烈しい音がしたように思います。
 私はこれから先の事を書くに忍びませぬ。
 けれどもこれから先の事を書きませぬと、何もかも疑問のままになると思いますから、記憶《おぼ》えております通りに記し止めさして頂きます。
 私がようやっと、お琴の上から起き直りました時には、畳の上に正座して、両手を膝の上に置いたまま、うなだれておいでになるお母様と、それに向い合って、突立っておいでになるお父様のお姿が、暗いお庭を背景にして見えましたが、その時にお父様は、右手に刀を提《さ》げておいでになった筈でしたけれども、その刀はお父様の身体《からだ》の蔭になって、私の目には這入りませんでした。只、お母様のうしろの壁に、赤い花びらのような滴《したた》りが、五ツ六ツ、バラバラと飛びかかっているのが見えましたが、その時は何やらわかりませんでした。
 そのうちにお母様の白い襟すじから、赤いものがズーウと流れ出しました。……と思うと左の肩の青いお召物の下から、深紅のかたまりがムラムラと湧き出して、生きた虫のようにお乳の下へ這い拡がって行きました。お母様の左手にも赤いものが糸のように流れ出していたように思います。それと一緒に、その青いお召物の襟の処が三角に切れ離れて、パラリと垂れ落ちますと、血の網に包まれたような白いまん丸いお乳の片っ方が見えましたけれども、お母様は、うつ向いたままチャンと両手を膝の上に重ねて坐っておいでになりました。
 私はその時に夢中になって、お母様に飛びついて行ったように思います。それをお母様はお抱き寄せになったようにも思いますがハッキリとは記憶致しませぬ。その時に、私の背中と胸へ、何か火のように熱いものが触ったように思いながら、お母様の上へ折り重なって倒れたようにも思いますが、これとても夢中になっておりましたのですから、どんな気もちだったかハッキリとは思い出し得ませぬ。どちらに致しましても私は、それ切り何もかもわからなくなりましたので、気がつきました時にはどこかの病院の寝台の上に寝かされて、白い着物を着た人達に取り巻かれておりました。
 お母様の肩を斬られたあとで、お母様と私とを一緒に突き刺されたお父様の刀は、私の肺を避けておりましたので助かったのだそうで御座います。けれどもお母様は心臓を貫かれておいでになりましたので、その場で絶息しておいでになったそうですが、それでも片手で、シッカリと私を抱き締めておいでになったということで御座います。
 又、お父様は、そのあとで、袴《はかま》をお召しになって、納戸《なんど》のお仏壇の前で見事に切腹しておいでになったそうですが詳しい事は存じません。
 あとあとの事は、何もかも柴忠さんが始末をして下すったそうですが、その時の事を誰が尋ねましても、柴忠さんは苦い顔をして返事をなさらぬとの事で御座いますから、私も気をつけまして、柴忠さんにだけは両親の事を尋ねないように致しておりました。

 私はお乳の下の傷が治りましてから後《のち》、丸三年の間、博多大浜の芝忠さんのお宅にお厄介になっておりました。それから福岡の小学校へ通わして頂いたので御座いますが、その間の芝忠さん御夫婦の御親切というものは、それはそれは筆にも言葉にも尽されませんでした。わけても私のお母様が阿古屋の押絵人形を作ってお上げになったお嬢様には、もう御養子がお見えになっておりましたが、お二人とも私を親身の妹のように可愛がって下さいました。
 けれども私は十六の年の春に高等小学校を卒業致しますと間もなく、思い切って芝忠さんにお暇《いとま》を願って東京の音楽学校に入る決心を致しました。それは、ちょうどその頃に、大浜から程近い市小路《いちこうじ》という町に在ります教会で、オルガンというものを弾き習いまして、西洋音楽というものが面白くて面白くてたまらなかったからで御座いましょうが、今一つには、もうこの上にどんなに辛棒しようと思いましても、生れ故郷の福岡には居られないような気持ちになったからでも御座いました。
 そのわけと申しますのは、ほかでも御座いませぬ。……あれは新聞に出た不義者の子よ……東京一の女形《おやま》俳優と、福岡一の別嬪《べっぴん》夫人の間に出来た謎の子よと、指さし眼ざしされておりますことが、成長いたしますにつれてわかって来たからで御座いました。
 学校の修身の時間なぞに、先生が何の気もなく貞女のお話なぞをしておられま
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