、その相手によく似た子供を生んだり生ませたりすることが出来る――
 ……まあ、何というステキな子供らしい空想で御座いましょう。
 けれどもその時の私には、そのような事が本当にあり得なければならぬとしか思えないので御座いました。そうして、それから後《のち》の私は、そんな事実が本当にあることかどうかを、たしかめようと思いまして、毎日のように上野の図書館に行きました。むずかしい産科の書物や心理学の書物を何十冊ほどめくら探りに読みましたことでしょう。図書館の人はおおかた私が産婆の試験を受けているとでも思われたのでしょう。そんな書物の名前を色々教えて下さいましたので私は心から感謝しておりましたが、今から考えますと可笑《おか》しいような気も致します。
 けれども、そのような不思議なことを書いた書物はなかなか見当りませんでした。そればかりでなく、生れて初めていろいろな事を知りますたんびにビックリする事ばかりで、人中《ひとなか》でそんな書物を読んでいるのが気恥かしさに、図書館行きを止めようかと思った位で御座いましたが、そのうちに遺伝の事を書いた書物を何気なく読んでおりますと、私は又、ビックリすることを発見致しました。
 それは「女の児《こ》は男親に似易《にやす》く、男の児は女親に似易い」ということを例を挙げて証明した学理で御座いました。
 それを読みました時に私は身体《からだ》中が水をかけられたように汗ばんでしまいました。そうしてせっかく喜び勇んでおりました私の心は又も、石のように重たくなってしまいました。
「お兄様と私とはやっぱり不義の子だ。そうしてそれを知っているのはこの世に私一人だけ……」
 そう思いますにつれて、私の眼の前がズーと暗くなって行くので御座いました。
 それから後《のち》の私の心は、もう図書館に行く力もない位よわりきってしまいました。御飯さえ咽喉《のど》を通りかねるようになりまして、ただ、岡沢先生御夫婦に御心配をかけないために無理からお膳についているような事でした。
「このごろトシ子さんの風付《ふうつ》きのスッキリして来たこと……それでこの東京に来た甲斐《かい》があるわ……ネエあなた……」
 と云ってお二人から褒《ほ》められたり、冷やかされたりしました時の辛《つろ》う御座いましたこと……。
 けれども、それでもまだ私の心の底に、あきらめ切れない何かしらが残っておったので御座いましょう。時々思い出したように上野の図書館に参りましては、医学に関係しました不思議な出来事や、珍らしい事実を書いた書物を、あてどもなく読み散らしておりますうちに又も、思いもかけませぬ書物から大変なお話を見つけ出しまして、ビックリ致したので御座います。
 その書物を書かれましたのは、その頃もう亡くなっておられた医学博士の石神刀文《いしがみとうぶん》という方で、たしか明治二十年頃に西洋の書物から飜訳なすったものと、おぼえております。題名は「法医学夜話」と申しますので、その中には昔から今日までの間に、法医学上の問題になりました色々な不思議な出来事が昔風の文章で面白く書いてあるので御座いましたが、そのおしまいの方に次のようなお話が交っておりました。その書物はもうどこの本屋にもないとの事でしたから、私はその後《のち》、今一度図書館に通いまして、そのお話のところだけを書き写して、お兄様のお写真やお話の記事と一緒に肌身離さず持っておりましたので、お読み悪《にく》いか存じませぬが、そのままここに挟んでおきます。

     法医学夜話(石神刀文氏著)[#「(石神刀文氏著)」は太字]

       第五章 人身の妖異 その一 姙娠奇談
 人身の妖異、その他に関する法医学上の興味ある挿話も亦《また》決して珍らしからず。中にも最も人の意表に出《い》づるものあるは姙娠に関する奇談にして、到底コンモンセンスにては判断し得べからざるもの多し。
 その第一に掲《かか》ぐべきは昔(西暦紀元前三百七十年前後)希臘《ギリシャ》の国の一王妃の身の上に起りし奇蹟的現象なり。
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◇訳者|曰《いわ》く=憾《うら》むらくはこの原文には、その王と王妃の名を明記し在《あ》らず。当時希臘国内は雅典《アテネ》市を除くのほか、数個の専制的君主国が分立しおりしを以て、この事件の起りしもその中の一国なりと推測せらる。
[#ここで字下げ終わり]
 その王妃は冊立《さくりつ》後間もなく身ごもり給いて、明け暮れ一室に起臥しつつ紡績と静養とを事とせられしが、その室《へや》の※[#「木+眉」、第3水準1−85−86]間《びかん》には、先王の身代りとなりて忠死せし黒奴《こくど》の肖像画が唯《ただ》一個掲げあり。その状貌|宛《あた》かも王妃の臥床を視下《みおろ》しつつ微笑を含みおれるが如く然《しか》り
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