ました。
たとえ、ま昼に幽霊に出会いましたとても、私は、あの時ほどに慄《ふ》るえわななきは致しませんでしょう。……その頁にやはり大きく七分身におうつりになっている貴方様のお洋服姿を拝見致しました時に、お母様の変装かと思うほどよく肖《に》ておいで遊ばすことが、ただ一眼でわかってしまったので御座いました。その時に私は畳の上に両手をついて、あなた様のお写真を見入ったまま……不思議の上にも重なる不思議に、すっかりおびやかされてしまったので御座いました。そうして何もかもがわからなくなりましたまま、今にも気絶しそうに息苦しく喘《あえ》ぎつづけていたように思います。しまいには両方の手首が痺《しび》れて来まして、髪の毛が顔の前に乱れかかって参りましてもやはり身動きすら出来ないままに次から次へと恐ろしい思いに迷いつづけていたように思います。
「私は不義を致したおぼえは毛頭御座いません」
と仰有ったお母様のお言葉をハッキリと思い出しながら……。
けれども、そのうちに室《へや》の中が真暗《まっくら》になってしまったのに気がつきますと、私はやっと気を取り直しました。机の端に置きました小《こ》ラムプに火を灯《つ》けまして、ふるえる指で目次にありましたあなた様の感想談のところを開いてみましたが、それを読んで行きますうちに私は、もう今にも声を立てて泣きたいようになりましたのを、袖を噛みしめ噛みしめしてやっと我慢し通したことで御座いました。
それは今度の追善興行につきまして、あなた様が雑誌記者にお洩らしになった御感想のお話でしたが、その時にお写真と一緒に切り抜いて大切に仕舞っておりましたのをここに挟んでおきます。古い事で御座いますからもうお忘れになっているかも知れぬと存じまして……。
初の大役「琴責め」
[#地から3字上げ]中村半次郎丈談
ありがとう存じます。
おかげで熱も出なくなりましたし、場合が場合ですから生命《いのち》がけで勉強しております。
この阿古屋の琴責めというのは、当家の六代前の先祖で白井半之助というのから伝わっておりますので、父の代になってから方々で演じて、いつも当りを取ったものだと申します。着付はその代々の好みになっているのですが、父の代になりましてからは牡丹《ぼたん》に蝶々ということに定《き》めてしまいました。帯は黒地に金銀の唐草模様で、きまっていない
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