のお琴のお師匠さんの処までよく聞えたそうです。
 又、その頃の私の家《うち》の暮し向きは、僅かばかり来る作米と漢学のお礼のほかはお母様の押し絵や針仕事で立てておられましたので、私が生れますあと先は御両親とも随分お辛い事が多かったろうと思いますが、そんな意味の事も、この手鞠歌に唱《うた》い込んでありますようで、誰が作ったものか存じませぬが、ほんとに憎らしくて憎らしくて思い出す度《たび》に胸が一パイになります。
 けれどもそのせいかして、お母様は鳥目になるといっておセキ婆さんが止めるのも聞かずに、普通の人よりも早く髪を洗ったり、針仕事を始めたりなすったそうです。お父様も亦《また》それから後《のち》というものは人が笑うのも構わずに、朝夕のお買物までも御自分でお出ましになりましたそうで、お母様は家《うち》にジッとしてお仕事をしておいでになりさえすれば、お父様の御機嫌がよいので、お祖母様は大層お困りになったそうです。
 しかし、今になってよく考えてみますと、そうしたお父様のお心持ちが私にはよくわかるように思います。
 親の事をとやかく申しますのは心苦しい事で御座いますけれども、この事はハッキリと申上げておきませぬと、これからの先のお話が、おわかりにならぬと思いますから、包まずに認《したた》めますが、私のお父様はそうした美しいお母様を一生懸命に働らかせて、お金をお貯めになる楽しみと、お母様を可愛がって、大切になさるお心持ちとを穿《は》きちがえたようなお心持ちから、そんな風にしておいでになることが、物心ついてから後《のち》の私の眼にも、よくわかっていたように思います。ですからお父様は、お母様が家《うち》に居て、夜《よ》の眼も寝ずにお働らきになる姿を御覧になるのが何よりも楽しく、嬉しくおいでになるのでそのために御機嫌もよかったものと思います。
 とは申せ、又一方から考えますと私のお母様のお仕事好きが、その頃はもう普通の意味のお仕事好きを通り越していたことも否《いな》まれないと思います。たといお父様の無慈悲な嫉妬深いお心が、お母様をどんなにか無理に押えつけて働らかせておりましたにしても、亦お母様が、どのようにお仕事好きでおいでになったにしましても、私が生れた後《のち》のお母様のお仕事ぶりは、とても人間|業《わざ》ではないと人々が申しておりましたそうです。
 この事は只今私から考えてみ
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