人に話しては笑ったという事を、ずっと後《あと》になって、聞きました。

 私が生れましたあと先の事で、後《のち》になって聞きましたことはまだいろいろあります。
 その中《うち》でも何より先に申上げなければなりませぬ事は、私が生れましてから間もなく流行《はや》り出しました手鞠歌《てまりうた》で、今でも福岡の子守女は唄っているそうで御座います。
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「イッチョはじまり一キリカンジョ……
一本棒で暮すは大塚どんよ。(杖術《じょうじゅつ》の先生のこと)
二ョーボで暮すは井ノ口どんよ。
三宝で暮すが長沢どんよ。(櫛田神社の神主様のこと)
四わんぼうで暮すが寺倉(金貸)どんよ。
五めんなされよアラ六《む》ずかしや。
七ツなんでも焼きもち焼いて。
九めん十めんなさらばなされ。
眼ひき袖引きゃ妾《わたし》のままよ。
孩児《やや》が出来ても妾の腹よ。
あなたのお腹《なか》は借りまいものよ。
主《ぬし》は誰ともおしゃらばおしゃれ。
生んだその子にシルシはないが。
思うたお方にチョット生きうつし。
あらイッコイッコ上がった」
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 と申しますのですが、私が、このようなことを申しますのは如何かと存じますけれども、これはやはりお父様とお母様と、それから私のことを目当てにして当てこすったもので、お母様が帯を縫ってお遣りになった力士の名前や、押絵にお作りになった、あなたのお父様の事などを輪に輪をかけて噂したものでしょう。私のお父様は前にも申しますように色の黒い逞ましいお方で、どちらかと申せば醜男《ぶおとこ》でおいでになったのに、お母様の方はまるでウラハラで、世にも珍らしく美しい方でしたので、いろいろな事を人が申しましたのも無理はないと思われます。

 お父様は、そんな歌が流行《はや》り出してからというもの、毎日のお墓参りや、方々の神様や仏様への安産の御願《おがん》ほどきや、お礼参りのほかは、お母様を一歩も外へお出しにならなかったそうです。
 もっとも、お父様は平生から冗談口一つ仰有らぬ真面目なお方でしたから、このような歌のウラに隠してある本当の意味はおわかりにならなかったでしょう。只、御自分の事が云ってあるので、お気に障《さわ》ったものらしく、そんな歌を意地悪るく家《うち》の表に来て歌う子守女たちを、お父様がキチガイのようになって、お叱りになる声が川向う
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