。又お母様は、
「あの一軒屋に居りながら、いつの間に見て御座るのか」
と知り合いの人が感心しておりましたくらい髪なぞもチャンと流行風《はやりふう》に結《ゆ》って、白いものなぞをチョッとかけておられましたが、それが又、飾り気がないままに譬《たと》えようもなく美しく見えました。そのお母様を育てました乳母で、オセキという元気な婆さんは、そのころ大きな段々重ねの桐の箱を背負うて、田舎まわりの小間物屋をしておりましたが、お母様はその婆さんから折々油や元結《もとゆい》なぞをお買いになるほかは何一つ贅沢なものを手にお取りになるでもなく、却《かえ》ってそのオセキ婆さんの方が、お母様のお作りになった絞りの横掛けや、金襴《きんらん》のお守り袋なぞを頂いて田舎で売って儲《もう》けていたとの事でした。夏なぞは御自分でお染めになった紺絞りの単衣《ひとえ》を着ておられるのが、ツキヌクほど白いお顔の色や、襟足や、お身体の色とうつり合ってホントにお上品に見えました。ある時私に、おまんじゅうを焼いて上げようと仰言《おっしゃ》って、手拭をチョット姉さん冠りにして火鉢の前にお坐りになった、そのお姿のよかったこと、今に眼についております。
「あなたのお母様は絵のようだと申し上げたいが、絵よりもズウットズウットお美しい」
とある人は申しました。
「女でさえ惚れ惚れする」
と云って昆布売りの女が見かえり見かえり出て行ったこともあります。嘘か本当か存じませぬが、その頃の福岡の流行《はや》り歌に、
「みなさんみなさん、福岡博多で、釣り合いとれぬが何じゃいナ。トコトンヤレトンヤレナ。あれは井《い》ノ口《ぐち》旦那と奥さん。中洲に(泣かずに)仲よく、暮すが不思議じゃないかいな。トコトンヤレトンヤレナア」
というのがあったと誰からか聞いておぼえておりますが、教えた人は忘れてしまいました。
けれどもお母様のホントの不思議と申しますのは、そんな事ではありませんでした。
「あなたのお母様は、私と同じ指を持っておいでになるのに、どうしてあのように不思議なお仕事が、お出来になるのでしょう」
というのは、うちに来られる人のみんなが皆言う事でした。私のお母様は、そんなにまで人が不思議がる程、指先のお仕事がお上手なのでした。
私が八歳の冬まで生きておいでになりましたお祖母《ばあ》様や、オセキ婆さんや、人様のお話によります
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