ダイヤを、幾個《いくつ》も仕舞い込んだ革のサックを、誰にもわからないように肌身に着けて持っているんですってさあ」
「厄介な道楽だナ。しかし、そんなものを持っている事がどうしてわかったんだ」
「それがトテモ面白いのよ。誰でも全身麻酔にかかると、飛んでもない秘密をペラペラ喋舌《しゃべ》るもの………っていう事を歌原未亡人は誰からか聞いて知っていたんでしょう。副院長さんが、それでは全身麻酔に致しますよって云うと直ぐにね。懐《ふところ》の奥の方から小さな革のサックを出して、これを済みませんが貴方の手で、病院の金庫に入れといて下さいって云ったのよ。そうして全身麻酔にかかると間もなく、そのサックの中の宝石の事を、幾度も幾度も副院長に念を押して聞いたのでスッカリ解っちゃったのよ」
「フ――ン。じゃ副院長だけ信用されているんだナ」
「ええ。あんな男前の人だから、未亡人《おくさん》の気に入るくらい何でもないでしょうよ」
「ハハハハハ嫉《や》いてやがら……」
「嫉けやしないけど危いもんだわ」
「何とかいったっけな。エート。胴忘《どうわす》れしちゃった。副院長の名前は……」
「柳井《やない》さんよ」
「そうそう。柳井博士、柳井博士。色男らしい名前だと思った。……畜生。うめえ事をしやがったな」
「オホホホ。あんたこそ嫉いてるじゃないの」
「ウ――ン。羨しいね。涎《よだれ》が垂れそうだ。一目でもいいからその奥さんを……」
「駄目よ。あんたはもう二三日うちに退院なさるんだから……」
「エッ。本当かい」
「本当ですとも。副院長さんがそう云っていたんだから大丈夫よ」
「フ――ン。俺が色男だもんだから、邪魔っけにして追払《おっぱら》いやがるんだな」
「プーッ。まさか。新東さんじゃあるまいし……アラ御免なさいね。ホホホホ……」
「畜生ッ。お安くねえぞッ」
「バカねえ。外《ほか》に聞こえるじゃないの。それよりも早く大連の奥さんの処へ行っていらっしゃい。キット、待ちかねていらっしゃるわよ」
「アハハハハ。スッカリ忘れていた。違《ちげ》えねえ違《ちげ》えねえ。エヘヘヘヘ……」
 看護婦は眼を白くして出て行った。

 私は情なくなった。こんな下等の病院の、しかも二等室に入院《はい》った事を、つくづく後悔しながら仰向けに寝ころんだ。体温器を出して見ると六度二分しか無い。二三日前から続いている体温である。……ああ早く退院したい……外の空気を吸いたい……と思い思い眼をつぶると、眼の前に白いハードルが幾つも幾つも並んで見えた。私にはもう永久に飛び越せないであろうハードルが……。
 私はすっかりセンチメンタルになりながら、切断された股《もも》の付け根を、繃帯《ほうたい》の上から撫でて見た。そうして眠るともなくウトウトしていると、突然に又もや扉《ドア》の開《あ》く音がして、誰か二三人這入って来た気はいである。
 眼を開いて見るとタッタ今噂をしていた柳井副院長が、新米《しんまい》らしい看護婦を二人従えて、ニコニコしながら近づいて来た。鼻眼鏡をかけた、背のスラリと高い、如何《いか》にも医者らしい好男子であるが、柔和な声で、
「どうです」
 と等分に二人へ云いかけながら、先ず青木の脚の繃帯を解《と》いた。色の黒い毛ムクジャラの脛《すね》のあたりを、拇指《おやゆび》でグイグイと押しこころみながら、
「痛くないですな……ここも……こちらも……」
 と訊《き》いていたが、青木が一つ一つにうなずくと、フンフンと気軽そうにうなずいた。
「大変によろしいようです。もう二三日模様を見てから退院されたらいいでしょう。何なら今日の午後あたりは、ソロソロと外を歩いてみられてもいいです」
「エッ。もういいんですか」
「ええ。そうして、痛むか痛まないか様子を御覧になって、イヨイヨ大丈夫ときまってから、退院されるといいですな。御遠方ですから……」
 青木は乞食みたいにピョコピョコと頭ばかり下げたが、よっぽど嬉しかったと見える。
「お蔭様で……お蔭様で……」
 そう云う青木を看護婦と一緒に、尻目にかけながら副院長は、私の方に向き直った。そうして一《ひ》と通り繃帯の下を見まわると、看護婦がさし出した膿盤《のうばん》を押し退《の》けながら、私の顔を見て、女のようにニッコリした。
「もうあまり痛くないでしょう」
 私は無愛想にうなずきつつ、ピカピカ光る副院長の鼻眼鏡を見上げた。又も、何とはなしに憂鬱《ゆううつ》になりながら……。
「体温は何ぼかね」
 と副院長は傍《そば》の看護婦に訊いた。
 私は無言のまま、最前《さっき》から挟んでおいた体温器を取り出して、副院長の前にさし出した。
「六度二分。……ハハア……昨日《きのう》とかわりませんな。貴方も経過が特別にいいようです。スッカリ癒合《ゆごう》していますし、切口の恰好も理想的ですから、もう近いうちに義足の型が取れるでしょう」
 私はやはり黙ったまま頭を下げた。われながら見すぼらしい恰好で……。「罪人は、罪を犯した時には、自分を罪人とも何とも思わないけれど、手錠をかけられると初めて罪人らしい気持になる」と聞いていたが、その通りに違いないと思った。手術を受けた時はチットもそんな気がしなかったが、タッタ今義足という言葉を聞くと同時に、スッカリ片輪《かたわ》らしい、情ない気もちになってしまった。
「……何なら今日の午後あたりから、松葉杖を突いて廊下を歩いて見られるのもいいでしょう。義足が出来たにしましても、松葉杖に慣れておかれる必要がありますからね」
「……どうです。私《あたし》が云った通りでしょう」
 と青木が如何にも自慢そうに横合いから口を出した。外出してもいいと聞いたので、一層浮き浮きしているらしい。
「新東さんは先刻《さっき》から足の夢を見られたんですよ」
 私は「余計な事を云うな」という風に、頬を膨《ふく》らして青木の方を睨《にら》んだが、生憎《あいにく》、青木の顔は、副院長の身体《からだ》の蔭になっているので通じなかった。
 その中《うち》に副院長は青木の方へ向き直った。
「ハーア。足の夢ですか」
「そうなんです。先生。私《あっし》も足が無くなった当時は、足の夢をよく見たもんですが、新東さんはきょう初めて見られたんで、トテも気味を悪がって御座るんです」
「アハハハハ。その足の夢ですか。ハハア。よくソンナ話を聞きますが、よっぽど気味がわるいものらしいですね」
「ねえ先生。あれは脊髄《せきずい》神経が見る夢なんでげしょう」
「ヤッ……こいつは……」
 と柳井副院長は、チョット面喰ったらしく、頭を掻いて、苦笑した。
「えらい事を知っていますね貴方は……」
「ナアニ。私《あっし》はこの前の時に、ここの院長さんから聞かしてもらったんです。脊髄神経の中に残っている足の神経が見る夢だ……といったようなお話を伺ったように思うんですが」
「アハハハハ。イヤ。何も脊髄神経に限った事はないんです。脳神経の錯覚も混《まじ》っているでしょうよ」
「ヘヘーエ。脳神経……」
「そうです。何しろ手術の直後というものは、麻酔の疲れが残っていますし、それから後の痛みが非道《ひど》いので、誰でも多少の神経衰弱にかかるのです。その上に運動不足とか、消化不良とかが、一緒に来る事もありますので、飛んでもない夢を見たり、酷《ひど》く憂鬱になったりする訳ですね。中にはかなりに高度な夢遊病を起す人もあるらしいのですが……現にこの病院を夜中に脱《ぬ》け出して、日比谷あたりまで行って、ブッ倒れていた例がズット前にあったそうです。私は見なかったですけれども……」
「ヘエ、そいつあ驚きましたね。片っ方の足が無いのに、どうしてあんなに遠くまで行けるんでしょう」
「それあ解りませんがね。誰も見ていた人がないのですから。しかし、どうかして片足で歩いて行くのは事実らしいですな。欧洲大戦後にも、よく、そんな話をききましたよ。甚《はなは》だしいのになると或る温柔《おとな》しい軍人が、片足を切断されると間もなく夢中遊行を起すようになって、自分でも知らないうちに、他所《よそ》のものを盗んで来る事が屡《しばしば》あるようになった。しかも、それはみんな自分が欲しいと思っていた品物ばかりなのに、盗んだ場所をチットモ記憶しないので困ってしまった。とうとうおしまいには遠方に居る自分の恋人を殺してしまったので、スッカリ悲観したらしく、その旨《むね》を書き残して自殺した……というような話が報告されていますがね」
「ブルブル。物騒物騒。まるっきり本性が変ってしまうんですね」
「まあそんなものです。つまり手でも足でも、大きな処を身体《からだ》から切り離されると、今までそこに消費されていた栄養分が有り余って、ほかの処に押しかける事になるので、スッカリ身体《からだ》の調子が変る人があるのは事実です」
「ナアル程、思い当る事がありますね」
「そうでしょう。ちょうど軍縮で国費が余るのと同じ理窟ですからね。手術前の体質は勿論、性格までも全然違ってしまう人がある訳です。神経衰弱になったり、夢中遊行を起したりするのは、そんな風に体質や性格が変化して行く、過渡時代の徴候《ちょうこう》だという説もあるくらいですが……」
「ヘエ――。道理で、私は足を切ってから、コンナにムクムク肥りましたよ。おまけに精力がとても強くなりましてね。ヘッヘッヘッ」
 副院長は赤面しながら慌てて鼻眼鏡をかけ直した。同時に二人の看護婦も、赤い顔をしいしい扉《ドア》の外へ辷《すべ》り出た。
「しかし……」
 と副院長は今一度鼻眼鏡をかけ直しながら、青木の冗談を打ち消すように言葉を続けた。
「しかし御参考までに云っておきますが、そんな夢中遊行を起す例は、大抵そんな遺伝性を持っている人に限られている筈です。殊に新東君なぞは、立派な教養を持っておられるんですから、そんな御心配は御無用ですよ。ハッハッハッ。まあお大切になさい。体力が恢復すれば、神経衰弱も治るのですから……」
 副院長はコンナ固くるしいお世辞を云って、自分の饒舌《しゃべ》り過ぎを取り繕《つくろ》いつつ、気取った態度で出て行った。
 私はホッとしながら毛布にもぐり込んだ。徹底的にタタキ付けられた時と同様の残酷《みじめ》さを感じながら……。

       二

 午食《ごしょく》が済むと、青木が寝台の隅で、シャツ一貫になって、重たい義足のバンドを肩から斜《はす》かいに吊り着けた。その上からメリヤスのズボンを穿《は》いて、新しい紺飛白《こんがすり》の袷《あわせ》を着ると、義足の爪先にスリッパを冠せてやりながら、大ニコニコでお辞儀をした。
「それじゃ出かけて参ります。今夜は片っ方の足が、どこかへ引っかかるかも知れませんが、ソン時は宜《よろ》しくお頼み申しますよ。アハハハハハ。お妹さんのお好きな紅梅焼を買って来て上げますからナ。ワハハハハ」
 と訳のわからない事を喋舌《しゃべ》って噪《はし》ゃいでいるうちに、ゴトンゴトンと音を立てて出て行った。
 青木の足音が聞えなくなると私もムックリ起き上った。タオル寝巻を脱いで、メリヤスのシャツを着て、その上から洗い立ての浴衣《ゆかた》を引っかけた。最前看護婦が、枕元に立てかけて行った、病院|備《そな》え付《つけ》の白木の松葉杖を左右に突っ張って、キマリわるわる廊下に出てみた。
 云う迄もなく、コンナ姿をして人中に出るのは、生れて始めての経験であった。だから扉《ドア》を締めがけに、片っ方の松葉杖の所置に困った時には、思わず胸がドキドキして、顔がカッカと熱くなるように思ったが、幸い廊下には誰も居なかったので、十歩も歩かないうちに、気持がスッカリ落ち着いて来た。
 私は生れ付きの瘠《や》せっぽちで、身軽く出来ている上に、ランニングの練習で身体《からだ》のコナシを鍛え上げていたので、松葉杖の呼吸を呑み込むくらい何でもなかった。敷詰《しきつ》めた棕梠《しゅろ》のマットの上を、片足で二十歩ばかりも漕《こ》いで行って、病院のまん中を通る大廊下に出た時には、もう片っ方の松葉杖が邪魔になるような気がしたくらい、調子よく
前へ 次へ
全9ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング