とに調子が悪いんですが……もっともこっちが幽霊になっちゃ敵《かな》いませんがね。ハッハッハッ……」
唖然《あぜん》となっていた私は思わず微苦笑させられた。それを見ると青木は益々《ますます》乗り気になって、片膝で寝台の端まで乗り出して来た。
「しかし何ですよ。そんな足の夢というものは、切った傷口が痛んでいるうちはチットモ見えて来ないんです。夜も昼も痛いことばっかりに気を取られているんですからね。ところがその痛みが薄らいで、傷口がソロソロ癒《なお》りかけて来ると、色んな変テコな事が起るんです。切り小口《こぐち》の神経の筋が縮んで、肉の中に引っ釣《つ》り込んで行く時なんぞは、特別にキンキン痛いのですが、それが実際に在りもしない膝っ小僧だの、足の裏だのに響くのです」
私は「成る程」とうなずいた。そうして感心した証拠に深い溜息をして見せた。青木は平生から無学文盲を自慢にしているけれども、世間が広い上に、根が話好きと来ているので、ナカナカ説明の要領がいい。
「実は私《あっし》も、あんまり不思議なので、そん時院長さんに訊《き》いたんですが、何でも足の神経っていう奴は、みんな背骨《せぼね》の下から三つ目とか四つ目とかに在る、神経の親方につながっているんだそうです。しかもその背骨の中に納まっている、神経の親方ってえ奴が、片っ方の足が無くなった事を、死ぬが死ぬまで知らないでいるんだそうでね。つまりその神経の親方はドコドコまでも両脚《りょうあし》が生れた時と同様に、チャンとくっ付いたつもりでいるんですね。グッスリと寝込んでいる時なんぞは尚更《なおさら》のこと、そう思っている訳なんですが……ですから切られた方の神経の端ッコが痛み出すと、その親方が、そいつをズット足の先の事だと思ったり、膝っ節《ぷし》の痛みだと感違いしたりするんだそうで……むずかしい理窟はわかりませんが……とにかくソンナ訳なんだそうです。そのたんびにビックリして眼を醒ますと、タッタ今痛んだばかしの足が見えないので、二度ビックリさせられた事が何度あったか知れません。ハハハハハ」
「……僕は……僕はきょう初めてこんな夢を見たんですが……」
「ハハア。そうですか。それじゃモウ治りかけている証拠ですよ。もうじき義足がはめられるでしょう」
「ヘエ。そんなもんでしょうか」
「大丈夫です。そういう順序で治って行くのが、オキマリになっているんですからね……青木院長が請合いますよ。ハッハッハ」
「どうも……ありがとう」
「ところがですね……その義足が出来て来ると、まだまだ気色のわりい事が、いくらでもオッ始まるんですよ。こいつは経験の無い人に話してもホントにしませんがね。大連みたような寒い処に居ると、義足に霜やけがするんです。ハハハハハ。イヤ……したように思うんですがね。……とにかく義足の指の先あたりが、ムズムズして痒《かゆ》くてたまらなくなるんです。ですから義足のそこん処を、足袋《たび》の上から揉《も》んだり掻いたりしてやると、それがチャント治るのです。夜なぞは外《はず》した義足を、煖房《ペーチカ》の這入った壁に立てかけて寝るんですが、大雪の降る前なぞは、その義足の爪先や、膝っ小僧の節々がズキズキするのが、一|間《けん》も離れた寝台の上に寝ている、こっちの神経にハッキリと感じて来るんです。気色の悪い話ですが、よくそれで眼を覚《さ》まさせられますので……とうとうたまらなくなって、夜中に起き上って、御苦労様に義足をはめ込んで、そこいらと思う処へ湯タンポを入れたりしてやると、綺麗に治ってしまいましてね。いつの間にか眠ってしまうんです。ハハハハ。馬鹿馬鹿しいたって、これぐらい馬鹿馬鹿しい話はありませんがね」
「ハア……つまり二重の錯覚ですね。神経の切り口の痛みが、脊髄に反射されて、無い処の痛みのように錯覚されたのを、もう一度錯覚して、義足の痛みのように感ずるんですね」
私はこんな理窟を云って気持ちのわるさを転換しようとした。青木の話につれて、タッタ今見た自分の足の幻影が、又も眼の前の灰色の壁の中から、クネクネと躍り出して来そうな気がして来たので……しかし青木は、そんな私の気持ちにはお構いなしに話をつづけた。
「ヘヘエ。成る程。そんな理窟のもんですかねえ。私《あっし》も多分そんな事だろうと思っているにはいるんですが……ですから一緒に寝ている嬶《かかあ》がトテモ義足を怖がり始めましてね。どうぞ後生だから、枕元の壁に立てかけて寝る事だけは止《よ》してくれ……気味がわるくて寝られないからと云いますので、それから後《のち》は、冬になると寝台《ねだい》の下に別に床を取って、その中にこの義足を寝かして、湯タンポを入れて寝る事にしたんですが……ハハハハハ。まるで赤ん坊を寝かしたような恰好で、その方がヨッポド気味が悪いんですが、嬶《かかあ》はその方が安心らしく、よく眠るようになりましたよ。ハッハッハッ……でもヒョット支那人《チャンチャン》の泥棒か何かが這入《へえ》りやがって……あっちでは泥棒といったら大抵チャンチャンなんで、それも旧の師走《しわす》頃が一番多いんですが、そんな奴がコイツを見付けたら、胆《きも》っ玉をデングリ返すだろうと思いましてね。アッハッハッハッ」
私も仕方なしに青木の笑い声に釣られて、
「アハ……アハ……アハ……」
と力なく笑い出した。けれども、それに連れて、ヒドイ神経衰弱式の憂鬱《ゆううつ》が、眼の前に薄暗く蔽《おお》いかぶさって来るのを、ドウする事も出来なかった。
……コツコツ……コツコツコツ……
とノックする音……。
「オ――イ」
と青木が大きな声で返事をすると同時に、足の先の処の扉《ドア》が開《あ》いて、看護婦の白い服がバサバサと音を立てて這入って来た。それはシャクレた顔を女給みたいに塗りこくった女で、この病院の中でも一番生意気な看護婦であったが、手に持って来た大きな体温器をチョットひねくると、イキナリ私の鼻の先に突き付けた。外科病院の看護婦は、荒療治を見つけているせいか、どこでもイケゾンザイで生意気だそうで、この病院でも、コンナ無作法な仕打ちは珍らしくないのであった。だから私は温柔《おとな》しく体温器を受け取って腋《わき》の下に挟んだ。
「こっちには寄こさないのかね」
と横合いから青木が頓狂《とんきょう》な声を出した。すると出て行きかけた看護婦がツンとしたまま振り返った。
「熱があるのですか」
「大いにあるんです。ベラ棒に高い熱が……」
「風邪でも引いたんですか」
「お気の毒様……あなたに惚れたんです。おかげで死ぬくらい熱が……」
「タント馬鹿になさい」
「アハハハハハハハハ」
看護婦は怒った身ぶりをして出て行きかけた。
「……オットオット……チョットチョット。チョチョチョチョチョチョット……」
「ウルサイわねえ。何ですか。尿器ですか」
「イヤ。尿瓶《しびん》ぐらいの事なら、自分で都合が出来るんですが……エエ。その何です。チョットお伺いしたいことがあるんです」
「イヤに御丁寧ね……何ですか」
「イヤ。別に何てこともないんですが……あの……向うの特別室ですね」
「ハア……舶来の飛び切りのリネンのカーテンが掛かって、何十円もするチューリップの鉢が、幾つも並んでいるのが不思議と仰有《おっしゃ》るのでしょう」
「……そ……その通りその通り……千里眼千里眼……尤《もっと》もチューリップはここから見えませんがね。あれは一体どなた様が御入院遊ばしたのですか」
「あれはね……」
と看護婦は、急にニヤニヤ笑い出しながら引返《ひっかえ》して来た。真赤な唇をユの字型に歪《ゆが》めて私の寝台の端に腰をかけた。
「あれはね……青木さんがビックリする人よ」
「ヘエ――ッ。あっしの昔なじみか何かで……」
「プッ。馬鹿ねアンタは……乗り出して来たって駄目よ。そんな安っぽい人じゃないのよ」
「オヤオヤ……ガッカリ……」
「それあトテモ素敵な別嬪《べっぴん》さんですよ。ホホホホホ……。青木さん……見たいでしょう」
「聞いただけでもゾ――ッとするね。どっかの筥入娘《はこいりむすめ》か何か……」
「イイエ。どうしてどうして。そんなありふれた御連中じゃないの」
「……そ……それじゃどこかの病院の看護婦さんか何か……」
「……プーッ……馬鹿にしちゃ嫌《いや》よ。勿体《もったい》なくも歌原男爵の未亡人《びぼうじん》様よ」
「ゲ――ッ……あの千万長者の……」
「ホラ御覧なさい。ビックリするでしょう。ホッホッホ。あの人が昨夜《ゆんべ》入院した時の騒ぎったらなかってよ。何しろ歌原商事会社の社長さんで、不景気知らずの千万長者で、女盛りの未亡人で、新聞でも大評判の吸血鬼《バンパイア》と来ているんですからね」
「ウ――ン。それが又何だってコンナ処へ……」
「エエ。それが又大変なのよ。何でもね。昨日《きのう》の特急で、神戸の港に着いている外国人の処へ取引に行きかけた途中で、まだ国府津《こうづ》に着かないうちに、藤沢あたりから左のお乳が痛み出したっていうの……それでお附きの医者に見せると、乳癌《にゅうがん》かも知れないと云ったもんだから、すぐに自動車で東京に引返して、旅支度《たびじたく》のまんま当病院《ここ》へ入院したって云うのよ」
「フ――ン。それじゃ昨夜《ゆんべ》の夜中だな」
「そうよ。十二時近くだったでしょう。ちょうど院長さんがこの間から、肺炎で寝ていらっしゃるので、副院長さんが代りに診察したら、やっぱし乳癌に違いなかったの。おまけに痛んで仕様《しよう》がないもんだから、副院長さんの執刀で今朝《けさ》早く手術しちゃったのよ。バンカインの局部麻酔が利かないので、トウトウ全身麻酔にしちゃったけど、それあ綺麗な肌だったのよ。手入れも届いているんでしょうけど……副院長さんが真白いお乳に、ズブリとメスを刺した時には、妾《わたし》、眼が眩《くら》むような思いをしたわよ、乳癌ぐらいの手術だったら、いつも平気で見ていたんだけど……美しい人はやっぱし得ね。同情されるから……」
「フ――ム、大したもんだな。ちっとも知らなかった。ウ――ム」
「アラ。唸《うな》っているわよこの人は……イヤアね。ホホホホホホ」
「唸りゃしないよ。感心しているんだ」
「だって手術を見もしないのにサア……」
「一体|幾歳《いくつ》なんだえその人は……」
「オホホホホホ。もう四十四五でしょうよ。だけどウッカリすると二十代ぐらいに見えそうよ。指の先までお化粧をしているから……」
「ヘエ――ッ。指の先まで……贅沢だな」
「贅沢じゃないわよ。上流の人はみんなそうよ。おまけに男妾《おとこめかけ》だの、若い燕《つばめ》だのがワンサ取り巻いているんですもの……」
「呆《あき》れたもんだナ。そんなのを連れて入院したんかい」
「……まさか……。そんな事が出来るもんですか。現在《いま》附き添っているのは年老《としと》った女中頭が一人と、赤十字から来た看護婦が二人と、都合四人キリよ」
「でもお見舞人で一パイだろう」
「イイエ。玄関に書生さんが二人、今朝《けさ》早くから頑張っていて、専務取締とかいう頭の禿《はげ》た紳士のほかは、みんな玄関払いにしているから、病室の中は静かなもんよ。それでも自動車が後から後から押しかけて来て、立派な紳士が入れ代り立ち代り、名刺を置いては帰って行くの」
「フ――ン、豪気なもんだナ。ソ――ッと病室を覗くわけには行かないかナ」
「駄目よ。トテモ。妾《わたし》達でさえ這入れないんですもの………。あの室に這入れるのは副院長さんだけよ」
「何だってソンナに用心するんだろう」
「それがね……それが泥棒の用心らしいから癪《しゃく》に障《さわ》るじゃないの。威張っているだけでも沢山なのにサア」
「ウ――ム。シコタマ持ち込んでいるんだな」
「そうよ。何しろ旅支度のまんまで入院したんだから、宝石だけでも大変なもんですってサア」
「そんな物あ病院の金庫に入れとけあいいのに……」
「それがね。あの歌原未亡人っていうのは、日本でも指折りの宝石キチガイでね。世界でも珍らしい上等の
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