いたが、そう思い思い壁の蔭からソッと首をさし伸ばしてみると、いい幸いに重症患者が居ないと見えて、玄関前の大廊下には人っ子一人影を見せていない。玄関の正面に掛かった大時計が、一時九分のところを指しながら……コクーン……コクーン……と金色の玉を振っているばかりである。
 その大きな真鍮《しんちゅう》の振り子を見上げているうちに、私の胸が云い知れぬ緊張で一パイになって来た。
 ……グズグズするな……。
 ……ヤッチマエ……ヤッチマエ……。
 と舌打ちする声が、廊下の隅々から聞えて来るように思ったので、我れ知らずピョンピョンと玄関を通り抜けて、向うの廊下のマットに飛び乗って行った。そうして昼間見た特等一号室の前まで来ると、チョットそこいらを見まわしながら、小腰を屈《かが》めて鍵穴のあたりへ眼を付けたが、不思議な事に鍵穴の向うは一面に仄白《ほのじろ》く光っているばかりで、室内の模様がチットモわからない。変だなと思って、なおよく瞳を凝《こ》らしてみると何の事だ。向う側の把手《ハンドル》に捲き付けてある繃帯の端ッコが、ちょうど鍵穴の真向うにブラ下がっているのであった。
 私はこの小さな失敗に思わず苦
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