変らず誰も居ない。病院中は地の底のようにシンカンと寝静まっている。
私の心は又も歓喜にふるえた。心臓がピクンピクンと喜び踊り出した。それを無理に押ししずめて廊下に出ると、ゼンマイ人形のようにピョンピョン飛び出したが、鍛えに鍛えた私の趾《あしゆび》の弾力は、マットを敷いた床の上に何の物音も立てないばかりでなく、普通人が歩くよりも早い速度で飛んで行くのであった。
私の胸は又も躍った。
片足の人間がコンナに静かに、早い速度で飛んで行けるものとは誰が想像し得よう。これは中学時代からハードルで鍛え上げた私にだけ出来る芸当ではなかろうか。これならドンナ罪を犯しても知れる気づかいは無いであろう。……逃げる早さだって女なぞより早いかも知れないから、自分の病室に帰って来て寝ておれば、誰一人気づかないであろう。……俺は片足を無くした代りに、ドンナ悪事をしても決して見付からない天分を恵まれたのかも知れない……なぞと考えまわすうちに、モウ玄関の処まで来てしまった。
……これは拙《まず》かった。こっちへ来てはいけなかった。やはり一先ず自分の病室に帰って、裏の廊下伝いに行かなければ……と私はその時に気が付
前へ
次へ
全89ページ中48ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング