社会面の全面を蔽うばかりに掲載されていた。
東京駅ホテルにて[#大文字、太字]
富豪紳士毒殺さる[#大文字、太字]
昨夜深更の出来事[#中文字]
本日午後三時端緒つく
狭山鬼課長出動活躍[#ゴシック体]
昨十三日夜、東京駅ステーションホテル第十四号室に約一週間前より滞在せる印度《インド》貿易商|岩形圭吾《いわがたけいご》氏(四五)は、昨夜泥酔して帰来したるが、本朝に至り着のみ着のまま寝室のベッドの上に横臥して死しおれるを、同|室《へや》附きのボーイが発見して大騒ぎとなり、吾が鬼課長狭山九郎太氏が出動して検屍したるに、同岩形氏の横死の裏面に重大なる犯罪の伏在しおるを認め、全力を竭《つく》して活動の結果、犯罪発見後数時間を出でざる本日午後三時に至り、その裏面の秘密を尽《ことごと》く発《あば》きつくせる事実を、本社は遺憾なく探知するを得たり。而《しか》してその事実の経過を見るに、実に容易ならざる犯罪事件にして、その犯行の原因の不可解なる、又、加害者と被害者の行動の異状なる、而してその犯罪の巧妙にして深刻なる、実に近来|稀《まれ》に見る怪事件にして、これを解決したる狭山課長の苦心、亦《また》実に手に汗を握るものあり。今その詳細に就き本社が特に探り得たるところを記さん。初めに、
岩形氏の変死を[#大文字]
発見したる給仕[#大文字]
山本千太郎(一八)はこの由を直ちにホテルの支配人竹村氏に知らせたるを以《もっ》て、同氏は直ちに現場に到りしに、岩形氏は紺羅紗《こんらしゃ》の服に、茶褐色の厚き外套を着し、泥靴を穿《は》きたるまま、寝台の上に南を枕にして西向きに横たわり、帽子は枕元に正しく置きてあり。双《そう》の掌《て》と、外套の袖口と、膝の処が泥だらけになりおれども、顔面には何等苦悶の痕《あと》なく、明け放ちたる入り来《きた》る冷風に吹かれおり。ボーイ山本千太郎の言に依れば、窓は初めより明け放ちありて入口の方を背にして横たわりおりしを以て全く泥酔して帰りたるまま横臥し、朝風に吹かれいるものと思い、近づきて呼び試みたるに返事なかりしより疑いを起したるものにして、なお入口の扉《ドア》も屍体発見以前より鍵がかかりおらず。暫くノックしても返事なかりしを以て、無断にて開きたる旨陳述せり。急報に接し日比谷署より司法主任|野元《のもと》警部、戸次《とつぐ》刑事部長以下刑事二名が現場に出張したるが、その結果、一本の注射器と毒物の容器とおぼしき空瓶が発見され、更に屍体を詳細に調査したる結果
左腕上膊部に小[#大文字]
さき注射の痕跡[#大文字]
あり。その部分のシャツが上下二枚とも同一箇所を重ねて鋏様《はさみよう》のものにて截《き》り破りある事実が発見されたり。然《しか》れどもその他の室内の物品は何一つ紛失、または攪乱されたる形跡なく、岩形氏所持の大型金時計は正確に、その時の時刻七時四十一分を示しおり。ただ敷き詰めたる絨毯の上に、岩形氏の泥靴の痕跡が、廊下より続きて入り来《きた》れるのを見るのみ。ここに於て日比谷署の司法主任野元警部はその容易ならざる怪屍体なることを認定し、この旨を警視庁、及《および》、検事局に報告するところあり。警視庁よりは第一捜索課志免主任警部、飯村刑事部長、金丸、轟二刑事、鑑識課員の数名と共に時を移さず現場に出張し、又、検事局よりは新進明察の聞え高き熱海《あたみ》検事と古木書記とが臨場して詳細なる調査を遂げたるが、その結果は更に幾多の怪事実の発見となり、疑問に疑問を重ぬるのみ。殆んど、その自殺なるか他殺なるかの判断さえも不可能なる状況となりしを以て、遂《つい》に吾が狭山第一捜索課長の出動を待つに一決し、電話を以てこの旨を警視庁に急報せり。
鬼課長の出動活躍[#大文字]
――遂に他殺と決定す――[#大文字]
………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
ここまで読んで来ると私は思わず赤面した。
この事件に関する私の活躍は、表面上大成功として都下の新聞に謳歌《おうか》されているのであるが、実は尻切れトンボ式の大失敗に終っているのである。ことにこの変死した岩形圭吾と名乗る紳士こそは……私は最初から事実を暴露しておく。その方が面白いと思うから……某国から日本に派遣されたその第一回の暗黒公使であることを発見し得べき奇怪な手がかりが、新聞記事にまでハッキリと描きあらわしてあったにも拘《かか》わらず、うっかりと見逃してしまって、あとで吃驚《びっくり》させられたのは返す返すも醜態であった。……しかし度々余談に亘るようであるが、この岩形圭吾氏の変死事件は、第二回の暗黒公使事件に参考すべき予備知識として、必要欠くべからざる重大事項であると同時に、私がJ・I・C秘密結社の内容を真剣に研究し初めた、その最初の動機になっているのだから止むを得ない。ここにすべてを打ち明けて、私の失敗に関する裏面の消息を明かにしておきたいと思う。
以上の事実をそれから間もない正八時に登庁して、電話で聴き取った私が、迎えの自動車で現場に到着したのは、岩形氏の屍体が発見されてから約一時間半の後《のち》であったが、ホテルの玄関まで出迎えた部下の二刑事と連れ立って十四号室の前まで来る間に、そこここの室《へや》から、男や女の顔がいくつも出たり引っ込んだりした。皆、今朝《けさ》の出来事を耳にしているらしく、脅えたような眼付きをしていたが、私はそんなものには眼もくれずに、まだ扉《ドア》を閉じて寝ているらしい室《へや》の番号だけを記憶に止めた。一寸《ちょっと》した注意であるが同宿の者の中《うち》に犯人があって、自分が殺しておきながら知らん顔をして寝ていたという実例が数え切れない程ある。そんな疑いのある者は喚び起して眼の球《たま》を見れば亢奮して充血しているのか、睡眠不足で充血しているのか、又は、酒のためか、病気のためか、それとも本当に安眠していたのかという事が、今迄の経験上、大抵一眼でわかるので、いよいよ見極めが付かぬ時は、その手段を執るより外に方法はないのである。
問題の第十四号室は、宮城の方に向って降りて行く階段の処から右へ第五番目の室《へや》であった。その室《へや》の内外は最早《もはや》、既に、鑑識課の連中が、志免警部の指揮の下に、残る隈なく調べ上げている筈であったが、私は念のため入口の扉《ドア》に近付いて、強力な懐中電燈を照しかけながら、その附近に在る足跡を調べて見ると、すぐに眼に付いたのは大きな泥だらけの足跡で、入口の処で、扉《ドア》を推し開くために左右に広く踏みはだけてある。これは疑いもない岩形氏の足跡で、岩形氏が昨夜《ゆうべ》泥酔して帰った事実が容易に推測される。それから私は黄色くピカピカ光っているワニス塗りの扉《ドア》にも、無造作に懐中電燈の光りを投げかけてみると、扉《ドア》の上半部に在る大きな新しい両手の指紋の殆んど全部と、把手《ノッブ》の上に在る右手の不完全な指紋が直ぐに眼に付いた。しかも、それ等の指紋には一つ残らず、ハッキリと白い泥の粉末が附着しているのであったが、これは矢張り今の推測を裏書するもので、岩形氏はどこかで酔っ払って転んで、手を泥だらけにして帰って来て、先ず扉《ドア》によろけかかって、それから右手でノッブを捻《ね》じって、室《へや》の中によろめき込んだものと察せられる。
私はここまで見届けてから懐中電燈のスウィッチを切ろうとすると、ついうっかりして取り落したが、電燈は大きな音を立てて床の上に転がったまま線が切れもしないで光っている。それを拾い上げようとして腰を屈めかけた私は、志免警部から電話で聞いた報告の中に無い、意外なものを発見したので急に手を引っこめながら左右をかえりみた。傍に立っている二刑事に電燈を指し示して、
「見たまえ」
と云った。
二人の刑事は直ぐに顔をさし寄せて見たが、軽い溜息をしいしい顔を上げて、私と眼くばせをした。その懐中電燈の光線が、鋭い抛物線を描いて、横|筋《すじ》かいに照し出している茶色のリノリウム張りの床の上には、そうと察して見なければ解らない程のウッスリとした、細長い、女の右足の爪先だけの靴痕が印《しる》されているのであった。こんな風に電燈を真正面から垂直に照しかけても見えないものが、真横《まよこ》から水平に近く照しかけると見え出して来るという事実は、実につまらない偶然の事ではあるが、私にとっては初めての経験で、この際としては特に貴重な発見でなければならなかった。
私は早速、電燈を取り上げて、同じように光線を横から床の上に這わせながら、女の左足の痕を探したが、それは右足のすぐ近くに、殆んど扉《ドア》とすれすれの位置に残っている。但しこれは爪先の形が右足のそれよりも稍《やや》ハッキリと現われていて、身体《からだ》の重みが幾分余計に、左足にかかっていた事を証明している。
私はそれから腰を屈めて、床の上の女の足跡がどこから来たか探し初めたが、これはさほど困難な仕事ではなかった。足痕は人の通らない端の方ばかりを選《よ》って歩いているために、殆んど一つも踏み消されたものはなく、昇降口の階段の処まで続いて来て、そこからずっと階下《した》まで敷き詰められた絨氈《マット》の上まで来て消え失せている。
私はその足跡の主が、階段を降りて行く後姿を眼の前に見るように思いつつ、階段の下の方まで見送っていたが、間もなく引返して、日比谷署と、警視庁と、検事局から詰めかけている連中に会うべく十四号室の扉《ドア》をノックして開いた。
そこは岩形氏の屍骸が横たわっている寝室と隣合わせの稍《やや》広い居間《プライベート》で、一流のホテルらしい上等ずくめの……同時に鉄道のホテルに共通ともいうべき無愛想な感じのする家具や、装飾品が、きちんきちんと並んでいたが、そんなものに気をつけて見まわす間もなく、ふと室《へや》の向側を見ると、窓に近い赤模様の絨毯の上に突立った志免警部と飯村部長が、色の黒い、眼の球《たま》のクリクリした、イガ栗頭の茶目らしいボーイと向い合っている。何か訊問をしているらしい態度であったが、私を見るとちょっと眼顔で挨拶をしてから又、二人でボーイの顔を凝視した。
私はこのボーイが岩形氏の変死を最初に発見したボーイに違いないと思った。同時にそのボーイが頭をがっくりと下げたまま、口を確《しっ》かりと噤《つぐ》んでいる横顔が、何かしら一言も云うまいと決心しているのに気付いた。それを志免と飯村の二人が無理やりに問い詰めて、いよいよこじらしているらしい様子を見て取ったので、これはこの際一大事と思ってつかつかと室《へや》の中央のテーブルをまわって行った。すると、それと殆んど同時に、隣の寝室で岩形氏の屍体を取り巻いていた熱海検事以下十余名の同勢がどかどかと寝室から出て来て私の背後を取り巻いたので、只さえぶるぶると顫《ふる》えながら立っていたボーイはいよいよ顫え上ってしまったらしく、傍に近寄って行く私の顔を、命でも取られるかのように身構えをして見上げた。眼の球を真白に剥き出して、唇の色まで失《な》くしてしまった。
私はわざと、その顔を見向きもしないまま見知り越の、熱海検事を振り返って中折帽を取った。
「何かあれからタネが上りましたか。電話で承わりました以外に……」
まだ若い熱海検事は無言のまま恭《うやうや》しく帽子を脱《と》った。そうして静かに志免警部をかえりみた。
「……ええ。この山本というボーイが何か知っているらしいのですけども……」
と引き取って答えながら飯村警部は又ボーイの顔を見た。
「……ワ……私は……何も知らないんです。何もしやしないんです。僕は……僕は……僕は……」
と突然にボーイが叫び出した。唇はわなわなと顫えて、涙が蒼《あお》ざめた頬を伝い落ちた。私はわざと朗かに笑い出した。
「ハハハハハ。誰もお前を犯人とは思っ
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