のは、まだその活躍ぶりを表面にあらわしておりませぬようで、国際的には余り有名でないのですが、ちょうど二年前の大正七年の十月頃に、私は或る機会からこのJ・I・C一味の日本内地に於ける活躍ぶりを発見しまして、その根を絶ってしまったことがあります。それ以来、私が道楽半分に研究したところに依りますと、このJ・I・C秘密結社と申しますのは実は、紐育《ニューヨーク》ウオール街の金権者団体を背景とする新タマニー・ホール一派の手先でありまして、内密にハウス大佐の指揮に属し、国際的の平和|攪乱《かくらん》を請負業と致しております、一種の無頼漢の団体に相違ないのでありますが、今度は又、東洋方面に何等の重要な使命を帯びて、捲土重来《けんどちょうらい》したものと考え得べき理由があります。
 ……現に西比利亜《シベリア》の東部に隠然たる勢力を張っておりますセミヨノフ、ホルワット両将軍は、沿海州に於ける日本の利権を米国に引渡す黙契の下に、軍資金と武器の密輸入をしている……一方は満洲に於て日本政府の援助の下に勢威を張っている張作霖《ちょうさくりん》が、このごろ急に排日傾向を帯びて来ました裏面には、満洲に潜入しているJ・I・Cの活躍が与《あずか》って力ある事を、意外にもペトログラドに於けるケレンスキー一派の諸新聞が、一斉にスッパ抜いているという風評を承《うけたま》わった位ですが……これは寧《むし》ろ外務省の機密局か、もしくは、特高課あたりの仕事かも知れませぬが……私は是非ともこの曲馬団の真相を探って見たいと思うのですが……彼奴《きゃつ》等の態度があんまり人を喰っているようですから……」
 功名手柄に逸《はや》っている新任総監は、こうした私の長広舌を、非常な熱心をもって傾聴した。永年外国に居て、西洋の事情に精通している君でなければ、とてもそんなところに着眼は出来まいとまで激賞した。……のみならず、丸の内の宮城に近い処に、このような天幕《テント》張り式の見世物の興行を許可するという事は将来に悪い慣例を残す事になるし、第一〇〇の尊厳を涜《けが》すものである。一つその曲馬団の正体を根こそげたたき上げて、外務省の鼻を明かしてやり給え……という個人的な意見までも添えて賛成したのであった。
 ところがその結果はどうであろう。願書が出てから二週間も経たぬうちに高星総監はこの興行を無条件で許可したのみならず、態々《わざわざ》私を呼び付けて、今後あの曲馬団に対して探索の歩を進める事を厳禁すると命令したのであった。
 私がこの命令を聞いた時には、何よりも先に自分の耳を疑った。同時に総監の態度の真面目なのに呆《あき》れた。冗談にもこんな矛盾した事が云えるものではないのに総監は平気で、しかも儼然《げんぜん》として私に命令している。そうしてどっかと椅子に腰を卸《おろ》してポケットから葉巻を出して火を点《つ》けている。そのまん中の薄くなった頭とデップリ肥満した身体《からだ》の中に包まれている魂は、貴族的の傲慢《ごうまん》と、官僚的の専制慾に充ち満ちているかのように見える。
 その態度と直面しているうちに私は早くも、持ち前の癇の虫がじりじりして来るのを感じた。そうして昨日《きのう》まで殆んど不眠不休で研究してやっと完成したバード・ストーン宛の暗号電報の日本訳を、無言のままポケットから取り出して高星総監の鼻の先に突き付けた。
 しかし総監はちらりと見たまま受け取ろうともしなかった。革張りの巨大な椅子をギューギュー鳴らしながら、太鼓腹を突き出して反《そ》りかえりつつ、小さな眼をパチクリさせただけであった。
「何だこの紙は……」
 私は憤激の余り手先がぶるぶる震えるのを、やっとの思いで押え付けながら声を励まして説明した。この電報一本が現政府の致命傷になりかねないと思ったから……。
「……ハイ……これはこの間お眼にかけました、帝国ホテル滞在中の曲馬団員から、団長、バード・ストーンに宛てた長文の暗号電報を飜訳したものであります。最後の署名のJ・M・SをJ・I・Cと置き換えて得ました暗号用のアルファベットを、更に、苦心して探りました××大使館用の暗号用アルファベットと置き換えて得ました英文の和訳がこれであります。……すなわち、バード・ストーン一座が大連《だいれん》の興行を打切として解散するに就いて、団員間に手当の不足問題が話題となっていること……××大使が非常に都合よく事を運んでくれているので、外務省にも警視庁にも感付かれる心配が絶対にないであろうこと……セミヨノフの使者に皇女を引渡す場所はハルビンが最適当と認められる事(この皇女というのは或《あるい》は金《かね》の事ではあるまいかとも考えているのでありますが)……それから張作霖に飛行機二台を引渡す方法に就《つい》ては、奉天《ほうてん》政府の代表チェン氏と打合わせの結果、大連埠頭で、現場貨物主任の日本人一名を買収し(費用二千|弗《ドル》程度)直接に貨車に積込み、奉天まで運んでから組み立てるのが最も安全であることが判明したから、そのつもりで船の手配を考慮されたい事……又、日本の現政府与党、憲友会の幹事長Y氏が、××大使の紹介の下に貴下《きか》に会いたがっている。これは日本国内各地の築港事業の促進を名として米国の低資を産業銀行に吸収し、来るべき解散に次ぐ総選挙の費用として流用する目的らしい情報が大使の手許に……」
「……これッ……」
 と叫ぶなり高星総監は椅子の中から手をさし伸ばすと、いきなり私が読みかけている暗号電報の写しと和訳を、両方一緒に引ったくってしまった。そうして床の上に落ちたまだ長い葉巻を踏み付けながら、偉大な身体《からだ》をヌックと立ち上らせて、私の鼻の先に突立った。見るとその顔は真青になって唇の色まで変っている。電報の内容の恐ろしさに胆を潰したものらしい。
 私は吃驚《びっくり》しながらもそれ見たことかと思った。それにつれて頭を擡げかけていた癇の虫が半分ばかり鎮まりかけたが、総監の方はなかなかそれどころではないらしい。自分が支配している警視庁のまん中に立っていながら、廊下にスパイでも居るかのように、わざわざ入口の扉《ドア》を開け放して来て、突立ったまま電文の和訳の残りを読み終ると、もう一度廊下の方をチラリと見ながら、私の顔に眼を移した。そうして容易ならぬ顔付きで訊ねた。
「この電文の内容はどこにも洩れておるまいな」
 この侮辱的な一言はやっと鎮まりかけた私の癇癪《かんしゃく》をぶり返すのに十分であった。思わず皮肉な冷笑を浮べながら云い放った。
「そんなヘマな事は致しませぬ。私は閣下よりも長く警視庁に勤めている者です。のみならず日本帝国の臣民です」
 総監の額に青筋がもりもりと膨れ上がった。そのツルツルした禿頭《はげあたま》の下から頭蓋骨の割れ目がアリアリと見え透《す》いて来た。あんまり立腹し過ぎて口が利けないらしかった。その顔を見上げながら私は心の底で免職を覚悟してしまった。そうして事の序《ついで》にもう一本痛烈な釘《くぎ》をぶち込んで二十年間の溜飲を一度に下げてやろうと決心したのでいよいよ落ち着いて咳払いをした。
「……エヘン……この後《ご》とても私はその秘密を洩らすような事は絶対に致しませんから何卒《どうぞ》御安心下さい。しかしこれだけの事は御参考までに申上げておきます。その電文の内容が全部実現することになりますれば、現政府は満洲と西比利亜《シベリア》の利権を米国に売って、総選挙の費用を稼ぐ事になります。……ですから万一閣下がその電文を握り潰してお終《しま》いになるような事がありますれば私は大和民族の一員として、到底黙って見ている訳に参りませんから、個人として新聞に……」
「黙り給え……」
 と総監は低い、押え付けた声で云った。真白に眼を剥《む》いて……。
「それ位の事がわからぬと思うか。余計な心配をするな」
「……でも……この捜索を打ち切れと仰言《おっしゃ》るからには……」
「……ダ……黙り給えというに……君はただ命令を遵奉《じゅんぽう》していさえすれあいいのだ。吾輩と同様に内務大臣の指揮命令に従うのが吾々の職務なんだ」
 総監はここでやっと落ち着いて来たらしく、ハンカチを出して額の汗を拭いた。
「……しかし内務省の指揮命令は、いつも政党の利害を本位としております。司法権はいつも政党政派の上に超越さしておかなければ、現にこのような場合に……」
「……いけないッ……君はまだ解らんのか」
 総監はすっかり平生の威厳を取り返した。その物々しい身体《からだ》で私を圧迫するように、ノッシノッシ近付いて来ると冷やかに私を見下した。
「……一言君の参考のために云っておく。この曲馬団に対する現政府の方針が間違っていたらその責任は現政府が負うであろう。しかし君の遣り口が間違っているために国際的の大問題を惹起するような事があれば、その責任は吾輩が負わねばならん」
「……………」
「それさえ解っておったら、別に云う事は無い筈である」
 私は黙って頭を一つ下げると、さっさと総監の自室を出て行った。
 私はその夜の中に辞表を書いて総監の手許に差出した。しかもその辞表はすぐに受け付けられたのである。そうして私の後釜《あとがま》には、私が初歩から教育した敏腕家で、この二三年の間に異数の抜擢《ばってき》を受けた私の腹心の志免不二夫《しめふじお》が、警視に昇進すると同時に坐ることになった。
 この一事は私の憤慨を大部分|和《やわら》げたのであった。けれどもそれが私の手柄を横取りして現内閣の御機嫌を取った総監の私の不平に対する緩和策であることに気が付くと、その不平が又もや大部分盛り返してしまった。……のみならず、その当の目標の曲馬団は間もなく、今日まで見世物の興行などを一度も許された事のない丸の内の草原《くさばら》の中に大きな天幕《テント》張の設備を初めた。そうしてバード・ストーン氏に率いられた団員の全部がオリノコ丸で到着して、日比谷の帝国ホテルと、本郷の菊坂ホテルに投宿してから、曲馬の興行を初めるまでの一週間の間に、東京中のありとあらゆる新聞に出した大々的の広告を見ると、益々不平の念が昂《たか》まって来た。その上に、大抵の興行物は、入費を節約するために、到着すると直ぐに興行を初めるように手配りをするのが普通であるのに、この曲馬団に限ってそんな気ぶりがない。途方もない前から先発隊が来て長々と準備をしていたであろうにも拘わらず一週間の長い間大勢が高価《たか》いホテルに泊ってブラリブラリとしている。……のみならずバード・ストーン団長を初めとして皆パッパと金を遣《つか》うらしく、新聞界や花柳界にわいわいと騒がれているなぞ、見る毎《ごと》に聞く毎に私自身が馬鹿にされたり、当てつけられたりしているような感じがしているところであった。その私の疑いと、憤慨の当の相手の曲馬団にこの少年が属していたというのだから、私が驚いたのは無理もないであろう。腹の底から唸り出したのは当然であろう。
 私は暫くの間、瞑目して考えた後《のち》に、おもむろに眼を見開いて少年の顔を見た。
 少年も私の顔をじっと見ていたが、その眼の底には一種の光りが流れていた。
「……それでは君はあの曲馬団から脱け出して来たのですね」
「ハイ。あの曲馬団は私の敵ですから」
 この少年の言葉には今までと違った凜々《りん》とした響があった。私は躍る心を押えながら、一層大きく眼を※[#「※」は「目+爭」、第3水準1−88−85、46−10]《みは》った。
「どうしてあの曲馬団が敵なのですか」
「あの曲馬団長のバード・ストーンは私の両親を苛め殺したのです。直接に手を当てて殺す以上に非道《ひど》い眼に会わして殺したのです」
「……フーム……それはどんな手段で……」
 少年は答えなかった。いかにも無念そうに唇をきっと結んだまま、私が持っていた曙新聞を受け取って、同じ一昨年の十月十四日の夕刊の社会面を開いて、前の広告と同様の赤丸を施した標題《みだし》を指さし示した。それは初号活字三段抜きの大標題で、次のような記事が殆んど
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