た中央郵便局で破棄される郵便物の中に貴方のお書きになった『毒物研究』という書物があったんです」
「僕の……」
「はい……」
「……フ――ム……あれは私が道楽に秘密出版をしたもので、各大学の法医学部と、私の持っている参考書の著者に五百部だけ贈呈したものなんだが、それがどうして亜米利加《アメリカ》三界《さんがい》まで行ったんだろう」
「何故だか存じませんけど発送人の名前も何もなくて、宛名は中央郵便局留置27号私書|函《かん》、エム・コール殿となっておりました」
「エム・コール……知らない人間だな」
「……きっと偽名だったろうと私は思うんです。その時にはもう27号の持主が変っていたんですから……」
「成る程……しかし、そんなものは焼き棄てるのが当然でしょう」
「いえ。米国ではそうでもないんです。一度中味を検《あらた》めて、貴重品は国庫の収入にして、そのほかの詰まらないものを局内で競売にして、下役の連中の慰労や何かの費用にしてしまうのです。ですから真実《ほんとう》に焼き棄てるのは危険物だの、まるきり役に立たないものだのばっかりです」
「……ではそれを買った訳ですね」
「はい。けれどもそれを読んでしまった後《あと》に、それが秘密にしてある事が判明《わか》りましたので焼き棄ててしまいました」
「秘密とは書物がですか」
「いいえ。競売にする事です。私は悪い習慣だと思いました」
「成る程。してその書物の中で何が一番面白いと思いましたか」
「みんな面白うございました。飲み物の中に入れると直ぐに溶けて、飲んだ人を一時間の後《のち》に殺す支那の丸薬や、モルヒネをきっかり三時間後に利かせるように包むカプセルや、遠乗りの時に相手の馬にそっと舐《な》めさせておいて、きっちり二十分後に暴れ出させて、相手を殺すか傷つけるかする何とかいう石楠花《しゃくなげ》に似た植物の毒の話や……名前をつい忘れましたけれども……」
「……ちょっと待ち給え……それは馬酔木《あしび》の毒でしょう」
「そうです。やっと思い出しました。この頃アフリカから米国に輸入されております大変に安くてよく利く馬の皮膚の虫取り薬です。コンゴー・ポイゾンと私共は申します。真黒なネットリした液体です。百|磅《ポンド》入りの鑵《かん》の上に貼った黄色い紙に、C・Pという頭文字《イニシアル》と、その植物の絵が印刷してあります」
「……ふ――む……それは初耳だ。そんな薬が出来たことは知らなかった……しかし、それは多分馬酔木の葉を煎じ詰めただけの粗悪品で動植物の駆虫用に製造したものと思うがね。私のはそれをもっともっと精製したもので、薄青い結晶になっている。それを錠剤にして馬に服《の》ませると、今云ったような恐ろしい中毒を起すが、反対に人間の重病患者に内服させると、人蔘《にんじん》と同じような効果をあらわすので、私は内職に製造して薬屋に売らせている。しかし材料が余計にないので、百姓が高価《たか》い事を云って困っているのだが……」
「亜弗利加《アフリカ》には馬酔木の大平原があるそうです」
「……ふ――む……君のお話の通りだと、原産地から直接にC・Pを取り寄せてもいい。精製するのは何でもないから……。いい事を聞かせて下すって有り難う」
「……私はその貴方の御本を読みましたから、いろんな事を考えるようになりました」
「……どんな事を……」
「すべての草や、木や、土や、生き物の中には、まだ沢山の秘密が隠れているだろうと……」
「……フーム……たとえば……」
「例えば何故人は毒薬を飲むと死ぬのだろう。その人の身体《からだ》を犯されると何故その人の生命《いのち》までいけなくなるのだろう。生命と身体とは別か一緒か……」
「ハハハハハハ。それは科学の問題ではない。哲学か、心霊学者の仕事だ。君は余りに空想に走り過ぎている」
「けれども若しこの事がハッキリとわかったら……毒薬も電気も何も使わずに、生命《いのち》だけ取ってしまう工夫が出来たら、身体《からだ》にちっとも傷が付きませんから、絶対に見つからない人殺しが出来ると思います」
「……………」
私はこの少年の想像力の強いのに驚いた。到底頭の干涸《ひか》らびた私なぞの及ぶところでない。十六や七の少年とは無論思えぬ。しかしその想像し得た事柄は、如何《いか》にも好奇心の強い、少年時代に相応した事柄ではある。
「成る程。それは一応|尤《もっと》もですね。しかし現代の科学はまだそこまで進歩していないのです。催眠術なぞいうものもありますが、あれは一種の神経作用を応用したもので、まだ根本的の説明が附いておりませぬ。この後、精神生理学というようなものでも発達したら、そんな理窟がわかるかも知れませぬが。とにかく僕の実験室には、そんな研究の材料も機械も何もありませんよ。……精神的に人を毒殺する……というような素晴らしい設備は……」
「はい。なくてもよろしゅうございます。私は今に自分で材料を揃えてやって見とうございます。そうしてその結果を貴方にお眼にかけとうございます」
少年はこう云いながら極《きま》り悪げにうつむいたが、この口調の中には動かす事の出来ない信念が籠もっていた。天国でも、星の世界でも眼の前に引き寄せようとする、希望と憧憬《あこがれ》に充ち満ちた少年らしい純情が響きあらわれていた。私はこの少年がどんな材料を集めて、どんな機械で、そうした不可能な実験をするかと思うと、微笑を禁ずる事が出来なかった。
しかし、それと同時に私は、この少年が、その姿や服装が異様に優れているのと同時に、その頭脳もまた尋常でない。少なくとも私の処に雇われたいために、想像も及ばぬ勉強をして来た物理、化学の研究が、正式の順序を踏んで来たものらしい事は否定出来なくなったのではたと当惑してしまった。何とかしてこの少年の希望を他所《ほか》へ転換出来ないものかと苦心しいしい、今度は別の方向から質問してみた。
「フーム。成る程……では、君が最後に従事しておられた仕事は何でしたか……」
こう訊ねると少年はきっと顔を上げた。何故かしらず、云い知れぬ気持の緊張に双頬《ほお》を白くしながら、キッパリと云った。
「……はい……丸の内で昨日《きのう》から興行を始めておりますバード・ストーンの曲馬団と一緒に参りました」
「えッ。あの曲馬団……」
と私は思わず大きな声を出した。そうして腹の底で……ウームと唸りながら眼を閉じた。
何を隠そう、そのバード・ストーン曲馬団こそは、私の辞職の直接の原因となっているもので、この曲馬団に関する私の意見と、警視総監……否、現内閣との意見が衝突さえしなければ、あんなに憤慨して辞職する必要はなかったものである。同時に、この少年がそのバード・ストーン曲馬団に属していた事が判明するとなれば、問題は最早《もはや》、区々たる呉井嬢次対、狭山九郎太の個人に関係した問題でなくなって来る。拡大も拡大……グーッと範囲を大きくして国家的、もしくは世界的の重大問題と変化して、私の頭の上から大盤石のように圧《お》しかかって来るのであった。
……ところで……話の途中ではあるがここで一応、誤解を避けておきたいのは、かくいう私が所謂《いわゆる》「政治問題」に対して絶対に無関心な人間……という事実である。これは苟《いやし》くも日本民族の血を享《う》けて日本に籍を置いている以上、不都合千万な奇怪事というべきで、殊に、警視庁の一課長の椅子に腰をかけている身分でありながら、その時その時の政界の事情に何等の興味を持たないでいるという事は、一見不思議に思われるかも知れないが、しかし、私の性格から見ると、これは決して矛盾した事実と思えなかった。
すなわち一言にして尽くせば私は、自分の職務に忠実であればあるだけ、そんな政治問題から超越していなければならぬと固く信じていた者であった。一切の出来事に対してどこまでも冷たい、公平な眼を注いで行かねばならぬ。あらゆる世相に対して忘れても色眼鏡をかけてはならぬ……自分一個の興味や感情に囚《とら》われて批判したり研究したりして、職務上の正確な観察を誤ってはならぬ……と寝ても醒めても警戒していた私であった。だから単に職務という立場からいえば、私は不必要なくらい色々な方面に注意を払っていた……同様に国際問題や、内政の秘密等に関しても、直接に必要のない事まで気を付けて研究していたもので、こんな点に関しては、政党の鼻息を伺ってびくびくしている大官連中なぞよりもずっと呑気《のんき》な、自由な立場に居ると云ってよかった。
そんな私だから今日《こんにち》までの間に、職務上の意見で上官と衝突した事も一度や二度ではなかったが、しかしこの曲馬団に関する意見ほど真剣に主張した事は未だ曾てなかった。……それ程に重大な国際的の危機を含んで、この曲馬団は日本に渡来したものであった。
この曲馬団の先発隊の一行九名が、春陽丸に乗って日本に到着して、警視庁を鼻の先に見た帝国ホテルに陣取って、丸の内仲通り十四号の空地で興行したいという願書を××大使の念入りな保証付きで差出したのは先々月……去年の十二月の末であった。その願書が警視庁に廻って来ると私は、すぐに私一流の専断でもって、腹心の刑事を使って当該曲馬団の内情を極力内偵させる一方に、自分自身でも特に念を入れて調査の歩を進めてみると、彼等は表面米国人を装うているが、実は色々の人種の顔付きを揃えていて小さな人種展覧会の観がある。……もっともこれは曲馬団なるものの性質上止むを得ないとしても、彼等が註文する喰物《くいもの》や酒の種類があまり上等でない。否《いな》、寧《むし》ろ下層社会の嗜好《しこう》に属するものが大部分である。……ところで、これも前同様、曲馬団の性質として深く咎《とが》むべきでないとしても、彼等が日本に来てから「無事到着」の電報を米本国に打った者が一人も居ない。同時に一本の手紙を出した形跡すら発見されないという事実ばかりは、私の注意を惹《ひ》かない訳に行かなかった。
この事実は一面から見ると彼等が米本国に家庭を持たない証拠である……彼等が一人残らず、一種の無頼漢《ぶらいかん》、もしくは国際ゴロの集団である事を証拠立て得る可能性のある事実と認められるのであるが、もし又、そうでないとすれば、彼等は何等かの理由で表面上、本国との信書の往復を禁ぜられているものと見なければならぬ。すなわちその信書の表記《うわがき》や内容に依って、何等かの秘密が漏洩《ろうえい》しそうな虞《おそ》れを抱いている一種の秘密団体とも見られる訳で、いずれにしても尋常一様の曲馬団とは思えない。……のみならず特に私の注意を高潮させたのは、彼等の中《うち》でも兄《あに》い株らしい、カヌヌ・スタチオと称する伊太利《イタリー》人が、今月の中頃に目下太平洋上を航行中の巨船オリノコ丸の乗客、バード・ストーン団長に宛《あ》てて打った無線電報が、奇怪にも曲馬団の交渉報告等に不必要な暗号電報で、しかも国際文書に髣髴《ほうふつ》とした非常な長文電報である事を確かめた一事であった。
これだけの事実を握ると私は俄然《がぜん》として一道の緊張味を感じない訳に行かなかった。そうして時を移さずこの旨《むね》を倶《ぐ》して新任総監高星子爵に報告しないではいられなくなった。
「……総監|閣下《かっか》。暗号電報の写しはこの通りであります。この電報の最後の署名になっておりますT・M・Sの三字はどう見ても或る個人的の発信者の署名とは思われませぬ。私の考えに依りますと、これは何等かの三字の略号を有する団体のサインを、更に暗号化した代え文字と思われるのであります。
……ところで目下米国で最有力な秘密団体は、K・K・KとJ・I・Cとこの二つしかありませぬが、その二つの中でもK・K・Kの方は現在のところウィルソン大統領の懐刀《ふところがたな》と呼ばれております例のハウス大佐の怪手腕によって、極力圧迫を加えられておりますので、真に国際的の活躍をしておりますのはJ・I・Cだけだと思われるのですが……。
……ところでこのJ・I・Cと申します
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