…団長でございます。そうしてその手紙は少しも悪い手紙ではございません。ミスタ・シメからミスタ・サヤマの紹介状《インツロダクション》です……おわかりになりますか……ショ……ショ……ショウカイ……おわかりになりましたか。貴女《あなた》、御心配なさらぬように、お願いします。私は貴女《あなた》と、貴方の叔父様にパスを上げましょう。今からまだ沢山見られます。時々プログラム……番組がかわります。もっともっと面白い事がはじまります。明日《あす》……今夜持たして上げましょう。どうぞ是非お出で下さい」
 と絵葉書そっくりの顔をして愛想を云った。
 けれども女は身動き一つしなかった。ストーン氏と向い合ってすらりと立ったまま、じっと灰色の封筒を見詰めていたが、やがて何か深い決心をしたらしく、やはり響のない声を出しながらストーン氏を見上げた。
「貴方のお尋ねになっておいでになります方は、もしや、ジョージ・クレイという名前ではございませぬか」
 はっとばかりにストーン氏は固くなった。私も覚悟しながら感電させられたような気持になった。
 今まで晴れやかに微笑んでいたストーン氏の顔は見る間に青くなった。やがて白くなった。そうして又女の顔を穴のあく程見ていたが、やがて以前の通りの莞爾《にこ》やかな表情に帰った。
「ああ。貴方は今日曲馬を見においでになりましたね」
 私は感心した。流石《さすが》に頭がいいと心の中で賞めた。
 けれども女は依然として態度を崩さなかった。そうして低い、静かな、はっきりした口調で云った。
「そのジョージ・クレイという方はもう日本にはおいでになりませぬ」
「えっ……」
 とストーン氏は立ち竦《すく》んだ。青い大きな眼を二三度ぱちぱちさせた。
「……ど……どこに行きましたか」
 女は依然として静かなハッキリした口調で答えた。
「どこへもお出でになりませぬ。お母様と御一緒にもう直きに天国へお出でになるのです」
 私は危《あやう》く声を立てるところであった。最前の手紙の中の文句に……私の生命《いのち》が危《あぶ》ない……今一人の相棒の生命《いのち》も駄目になる……とあったのを思い出したからである。
 ……志村浩太郎氏の最後には志村のぶ子が居た。
 ……嬢次少年の最後にはこの女が居る……。
 ……さてはあの手紙は真実であったのか。
 ……私の第六感は、やはり私の頭の疲れから来た幻覚に過ぎなかったのか。
 ……私はやはりここに来てはいけなかったのか……。
 ……うっかりするとこの女を殺すことになるのか……。
 そんな予感の雷光《いなずま》が、同時に十文字に閃めいて、見る見る私の脳髄を痺《しび》らしてしまった。しかも、それと反対に、室内《なか》の様子を覗《うかが》っている私の眼と耳とは一時に、氷を浴びたように冴えかえった。
 バード・ストーン氏は幕を引き退《の》けた入口の扉《ドア》の前に、偶像のように突立っている。その眼は唇と共に固く閉じて、両の拳《こぶし》を砕くるばかりに握り締めている。血色は稍《やや》青褪めて、男らしい一の字眉はひしと真中に寄ったまま微動だにせぬ。
 女はそれに対してうなだれている。顔色は光を背にしているために暗くて判らないが、鬢《びん》のほつれ毛が二筋三筋にかかって慄《ふる》えているのが見えた。
 やがてストーン氏は静かに両眼を見開いたが、その青い瞳《め》の中には今までと全《まる》で違った容易ならぬ光りが満ちていた。相手が尋常の女でない事を悟ったらしい。氏は又も室《へや》の中をじろりと一度見廻したが、そのまま眼を移して女の髪の下に隠れた顔を見た。そうして低いけれども底力のある、ゆっくりした調子で尋ねた。
「貴女《あなた》はどうしてそれがわかりますか」
「……………」
 女は答えなかった。黙って懐中《ふところ》から一通の手紙を取り出してストーン氏の眼の前に差し出した。
 それは桃色の西洋封筒で、表には何かペンで走り書きがしてあって書留になっている。ストーン氏は受け取って、先《ま》ず表書を見たが、ちらと女の方に上眼使いをしながら、裏を返して一応|検《あらた》めてから封じ目を吹いた。中からは白いタイプライター用紙に二三十行の横文字を書いた手紙が出て来たが、それを手早く披《ひら》いて読んでいるうちに、その一句一句|毎《ごと》にストーン氏の顔が緊張して来るのがありありと見えた。それに連れて読んで行く速度が次第に遅くなって、処々《ところどころ》は意味が通じないらしく二三度読み返した処もあった。
 読み終るとストーン氏は、そのまま封筒と一緒に手紙を右手に握って、又、女の顔をジッと見た。その顔付きは罪人に対する法官のように屹《きっ》となった。静かな圧力の籠《こも》った声で問うた。
「今まで貴女《あなた》が、ジョージ・クレイと話しをする時に、いつも羅馬《ローマ》字で手紙を書きましたか」
 女は黙って首肯《うなず》いた。
「……それから……今日……貴方はこの手紙で……ジョージ・クレイが命令した通りにしましたか」
「ハイ」
 女の返事は今度はハッキリしていた。そうして静かに顔を上げてストーン氏の顔を正視した。
 その顔は、電燈の逆光線を受けて、髪毛や着物と一続きの影絵になっていて、恰《あたか》も大きな紫色の花が、屹《きっ》と空を仰いでいるように見える。それを見下ろしたストーン氏は決然とした態度で、肩を一つ大きく揺すった。そうして鉈《なた》で打《ぶ》ち斬るようにきっぱりと云った。
「……よろしい……私は帰りませぬ。貴女《あなた》にお尋ねをしなければなりませぬ。貴女はジョージと一緒になって、私に大変悪い事をしました。……さ……お掛けなさい」

 女は最初《はじめ》から覚悟していたらしく、静かに元の肘掛椅子に腰を下して、矢張り石のように冷やかな姿でうなだれた。
 ストーン氏も椅子を引き寄せて、女と差向いに腰をかけたが、手紙を丸|卓子《テーブル》の上に置いて、左手でしっかりと押えて、屹と女を見詰めた態度は、依然として罪人に対する法官の威厳をそのままであった。一句一句吐き出すその言葉にも、五|分《ぶ》の隙もない緊張味と、金鉄動かすべからざる威厳とが含まれていた。
「貴女《あなた》のお名前は何と云いますか」
 女はうなだれたまま答えなかった。しかしストーン氏は構わずに続けた。
「貴女《あなた》のお名前は何と云いますか」
 女はやっと答えた。
「それは申上げられませぬ。嬢次様のお許可《ゆるし》を受けませねば……」
 ストーン氏は苦々しい顔をした。
「それは何故ですか」
「何故でもでございます。二人の間の秘密でございますから」
 軽い冷笑がストーン氏の唇を歪めた。
「……年はいくつですか」
「……十九でございます」
「ジョージよりも多いですね」
「どうだか存じませぬ」
 ストーン氏の唇から冷笑がスット消えた。同時に眼からちょっと稲光りがさした。余りにフテブテしい女の態度に立腹したものらしい。
「学校を卒業されましたか」
「一昨年女学校を卒業しました」
「学校の名前は……」
「それも申上げられませぬ。妾《わたし》の秘密に仕度《しと》うございます。校長さんに済みませぬから……」
「叔父さんに怖いのでしょう」
「怖くはありませぬ。もう存じておる筈ですから……でなくとも、もう直《じ》きに解りますから……」
「叱られるでしょう」
「叱りませぬ。泣いてくれますでしょう」
「何故ですか」
「あとからお話し致します」
「……フム……それでは……学校を卒業してから何をしておられましたか」
「絵と音楽のお稽古をしておりました」
 ストーン氏は背後《うしろ》の絵を振りかえった。
「……S・AOYAMA……この絵は貴女《あなた》の絵ですか」
「……いいえ……わたくしの先生……」
 と云いさしてハッとハンカチで口を蔽うた。ストーン氏はニヤリとしながら頤《あご》で首肯《うなず》いた。
「……フム……それで……貴女《あなた》はいつ、初めてジョージ・クレイに会いましたか」
「今から一週間前の朝でございました」
「どこで……どうして友達になりましたか」
「それも申上げる訳に参りませぬ」
 ストーン氏は又も不愉快な顔をした。又か……という風に……。
「フム……それではその時にジョージは一人でしたか」
「ハイ……ですけどもその時にジョージ様は云われました。私は曲馬団の中で一人の露西亜《ロシア》人と、伊太利《イタリー》人の兄弟との三人に疑われているから、あまり長く会ってはいられない……」
「フム……貴女《あなた》はジョージを見たのはその時に初めてでしたか」
「ハイ、いいえ。新聞の広告や何かで、お名前だけは、よく存じておりましたけど……」
「……それでは貴女《あなた》が初めて会った時にジョージの名前を聞いたのですね」
「……………」
 女は返事しなかった。ただ頭を左右に振っただけであった。[#底本では句点なし]
「フーム……それでは……貴女《あなた》は名前を知らないでジョージと会ったのですね」
「……………」
 女は微かにうなずいた。
「そうして仲よくなったのですね」
「……………」
「わかりました。そうして初めて会ってからどこへ行きましたか」
「それも申上げる訳に参りませぬ」
「それから後《のち》会った処も……」
「ハイ……」
「……フム……それでは後から尋ねます。……それからジョージは貴女《あなた》の叔父様……ミスタ・サヤマの事知っておりましたか」
「初めは御存じなかったようです。ですけど私が叔父の名前を申しましたら吃驚《びっくり》なさいました」
「その時ジョージは何と云いました」
「嬢次様は大層喜んで、狭山の名前は亜米利加に居るうちからよく知っている。その中《うち》に是非会いたいと云われました」
「……違いますねえ……ジョージは初めからその事をよく知っておりました。貴女《あなた》の叔父様に会いたいために貴女のお友達になったのです。貴女はそのことわかりませぬか」
「妾《わたし》が狭山の姪という事がどうして判りましょう。私が嬢次様にお眼にかかったのは、日本にお着きになってから二日目ではございませぬか」
「……ジョージは狐のような知慧を持っております。ジョージは貴女《あなた》を知っていたに違いありませぬ」
「どちらでも妾《わたし》は構いませぬ」
「……フム……フム……フム……それで……それでジョージに会うのに、それから貴女《あなた》はどうして会いましたか」
「ハイ。嬢次様はいつもお手紙で時間と、場所を知らせて下さいましたが、大方朝の間が多うございました」
「貴女《あなた》のお住居《すまい》は……」
「申し上げられませぬ」
「何故、叔父様と一緒に居ないのですか」
「日本の習慣に背くからでございます」
「……フム……フム……」
 とストーン氏は、いくらか云い籠められた形になって躊躇した。しかし儼然《げんぜん》たる態度は依然として崩さないまま、ジョージの手紙を拡げて女の顔と見較べた。
「……よろしい……それで……この手紙に書いてある事いろいろあります。午後三時までに曲馬を見に来ていて下さい。ジョージ・クレイを虐《いじ》めた曲馬団に仇討ちをする仕事を手伝って下さい。そのテハ……手始めに、私の大切なものを入れた黒い鞄《かばん》が曲馬場の中に隠してあるのを取り返して、二人でどこかへ隠れるつもりですから、その用意をして来て下さい。……このこと……私たちの手始めの仕事が都合よく済んだら、叔父様にお話しして、二人の事をお許し願うつもりだから、それまでは叔父様に知らせてはいけませぬ……私たちの仕事がうまく行かないか、又は、叔父様や警察に睨まれて、私たちの仕事を邪魔されるような心配が出来たら、私たち二人で、今夜のうちにも死ななければならぬと思います。その用意もして来て下さい……その外にも、また色々沢山書いてあります。……それで貴女《あなた》は今日のジョージの仕事皆手伝いましたか」
「……いいえ……別に手伝うという程でも御座いませんけど……そのお手紙が私の処に参りましたのは今日のお正午《ひる》過ぎ二時近くでご
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