に会いました。その人……ミスタ・シメは云いました。……私は警察の力で探すことが出来ます。けれども、そんなに早く探す事は出来ません。只、ミスタ・クローダ・サヤマは直ぐに探す事が出来ましょう。ミスタ・クローダ・サヤマは日本で……世界で一番上手な探偵です。神様のような名人です。その人にお頼みなさい。その人は今留守です。けれども夕方には帰るでしょう。夕方までに横浜を出る船はありませんから、その子供は外国へは逃げられません。それまで安心して曲馬場で待っておいでなさい……と云いました。そうしてこの手紙下さいました。けれども私は横浜に用事がありましたから自動車で行って今帰って来ました。それで貴方、先生に云って下さい。ミスタ・クローダ・サヤマにバード・ストーンが会いたいと申しました。用事は私が自分で会ってお話します。そして……お帰りになったら直ぐに帝国ホテルに電話をかけて下さい。夜でも構いません。一時でも二時でも……帝国ホテルの電話を皆使ってよろしゅうございます。私はいつでも自動車でここへ来るようにしておきます」
ストーン氏の言葉は次第に事務的な調子に変って来た。その日本語が不完全であればあるだけ、それだけ意味が強く響くような気がした。それからストーン氏はちょっと意味ありげな眼付きでちらりと女の顔を見ると頭をひょいと下げて云った。
「それから済みませんが、ちょっと電話を借して下さいませんでしょうか」
「さあどうぞ」
と云ううちに女は手ずから受話器を取ってやったらしい。けれども私には見えなかった。私は電話という声を聞くなり、受話器の影法師の蔭からそっと身を退いて、窓の下に跼《しゃが》み込んでしまったから……。
だから、むろん女もストーン氏も気付かなかったらしく、ストーン氏は腰をかけたまま盛んに帝国ホテルと話し出したが、その言葉は忽ちの中《うち》に下等な亜米利加人特有の粗暴、下劣を極めた方言《スラング》に変って行った。こうした方言《スラング》は亜米利加人でも聞き分け得ない者が多いのだから、ストーン氏は誰にもわからないつもりであったらしい。かくいう私とてもこの一二年の間横浜に行って、下級船員を捕まえて研究していなかったならばチンプンカンプン聞き取り得なかったであろう。
「……もしもし……帝国ホテルですか……ヘロウ。ハドルスキー。どうしたんだ。なに。俺を探していたとこだ。どうしてここに居る事がわかった。志免の野郎に会って話を聞いたあ。うんうん。まだサヤマの野郎|帰《け》えらねえよ。そこにゃ誰も居ねえのか。うん手前《てめえ》一人か。カルロ・ナインはどうした。もう寝ている。スタチオは? 二人とも出かけたあ。なにい。本牧にいい賭場を見付けたあ。仕様のねえ奴だな。女郎《めろう》どもはどうした。四五人成金のお客が付いた? はははは。ほかのは散歩している。うむ。寝てるのも居る。うんよしよし。俺あ今日横浜へ行ったんだ。なあに。例の船の用事よ。大連《たいれん》通いの……うんうん……あの一件さ。飛行機《モリスファルマン》が二台無事に通れあ後はいくらでもだ……。ほかに変りはないね。
……なにい……狭山に会ったあ。ほー……どこで……なに曲馬場で? 志免の話を聞いて直ぐに俺を尋ねて来たって?……本当か……ふーん。そうか……ちゃんと変装して……ふーん……それじゃお前からジョージの事を何もかも話したんか。うんうんそいつあよかった。今頃あ一生懸命探しているだろうって?……はっはっ何しろ三万円だからな。日本人は金の事にかけると胆ッ玉がちいせえからな。日本の警察だって甘《あめ》えもんじゃねえか。聞いてた程がものはねえや。サヤマだってそうだ。世界一の名探偵が聞いて呆れるよ。なあに矢《や》っ張《ぱ》り三万円が欲しくなったのよ。あの懸賞にサヤマが引っかかれあ大成功だよ。はっはっ……だから俺《おら》あサヤマをぶっ放《ぱな》すのを延期したよ。ここに来て見てそんな気になったんだ。なあに。ジョージを探させるのに便利なばかりじゃねえんだ。サヤマを生かしとくとちょっと美味《うま》い事がありそうに思うんだ。今にわかるよ……うんうん……。
……うんうん……それじゃ俺は今夜はもう用はねえな。うん。ジョージがこっちの内幕をばらしせえしなけあ大丈夫なんだが、彼奴《あいつ》の知ってる事は多寡が知れてるからな。ジェイ・ファースト(志村のぶ子のこと)でも居れあ格別だが、居そうにもねえよ。俺《おら》あもうあの女はあきらめたよ。それよりも俺《おら》あすてきな玉を見付けたぞ。ジェイ・ファーストのお代りと云いたいがあれ以上に若くてシャンだ。とても比べものにゃあならねえ。今ここに居るんだ。サヤマの姪なんだ。だから俺ゃサヤマの死刑を延期する気になったんだ。あはは……どうだ。いい加減こたえたか……なにい?……あぶねえ?……大丈夫だよ。しょっちゅう一人で留守番をさせられてるんだそうだ。だからこの家の中には誰も居やしねえ。這入る時にすっかり様子を見といたんだ。
……何だって?……感付かれあしねえかって? はっはっはっ。心配するなってこと……そんな頭のいい女じゃねえ。読本《リーダー》に出て来るような初心《うぶ》な娘ッ子だ。きっと物にして見せるよ。俺の歯にかかったらどんなに堅《かて》え胡桃《くるみ》だって一噛みだ。
……何だ……お楽しみだあ。あはははは。巫戯化《ふざけ》るな。そう急にあ行かねえよ。第一|長《なが》っ尻《ちり》するきっかけがもうなくなっているんだ。もうぽちぽち帰りかけているとこだ。築地の芳月軒に女が待っているからな。スペシアル・ゲイシャ・ガールだ。……なあにケルビン(××大使のこと)が来る筈だったけど、加減がわりいって断って来たから、結局俺一人になった訳よ。よかったら来ねえか。上玉が一人余っているんだからな。ははははは。
……ジョージの事あ大丈夫だよ。日本に来てからもう一週間になるけど、こっちの秘密をばらした形跡はねえんだからな。彼奴《あいつ》は何も知ってやしねえよ。ついこの頃這入って来た青二才じゃねえか。何が解るものか。大方女でも出来たんだろうよ……今気が付いたんだが……もうぼつぼつ初める年頃だからな。うちの別嬪連中《あまっちょども》がやいやい云っても逃げまわっているから、まだ雛《ひよ》ッ子だと思っていたんだが……こいつばかりはわかんねえかんな。しかし女に引っかかって逃げたんならいよいよ安心だ。こっちの仕事の邪魔にゃあならねえ。三万円も高価《たけ》え給銀と思えや諦めが付く。彼奴《あいつ》はちっと安過ぎたからな。はっはっ。
……俺が一番心配しているのは本国政府の態度だ。日仏秘密協商の成立から来る対日外交の軟化だ。しかしここまで来て煮え湯を呑まされるような事《こた》ああるめえと思うよ。ウオル街の連中は西比利亜《シベリア》の利権に涎《よだれ》を垂らしているし、軍事機密局だって日本の石油の秘密タンクには頭痛鉢巻だかんな。実は今日ケルビンに会ってその後の形勢を聞いてみるつもりだったんだが……万一こっちのからくりが曝《ば》れそうだったら、いつも云う通りカルロ・ナインを締めるだけの事よ。彼女《きゃつ》の身分せえ知れなけあこっちの計画のばれっこはねえ。ジェイ・ファースト(志村のぶ子)を締めた時の手で、芝浦からモーター・ボートでずらかってもいい……お前《めえ》はなかなか色男……あはははは。もう止してくれ?……身ぶるいが出る?……意気地のねえ事を云うな。卵を潰すようなもんじゃねえか。手前《てめえ》の指先にかけたら……うんうん。まあゆっくり芳月軒で話そう。カルロ・ナインも起して連れて来てもいい……ほかはちょんの間に寝かしとけあいい。欲しがっていたオニンギョウでも抱かしてな……うんうん……。
……なにい。こっちの女《あま》はどうするって?……はっはっ。いやに気にするじゃねえか。今日はここいらで見切を付けて帰《け》えるんだ。あとでサヤマを欺して、何とか用事をこしらえて上海《シャンハイ》に追いやって、あそこの仲間に一服盛らせる。蠅取紙に蠅を乗せるようなもんだ。ジョージせえ見付かれあ、あとは彼奴《あいつ》に用なんかねえんだからな。……あとには身より頼《た》よりのねえ女《あま》が一人残る。こいつをサヤマの贋手紙で大連《たいれん》あたりへ呼び出させる。……この手紙を書くのは手前《てめえ》の役だぞ……いいか……そうして大連までおびき出せあ、あとは煮て喰おうと焼いて喰おうと……ってえ寸法がちゃんと出来ているんだから、すげえだろう……はっはっ……そんじゃ芳月軒に来てくれるな……よしよし……俺が行ったら電話をかける……うん。……あばよ……」
私はこの電話がまだ済まないうちに、いつの間にか窓から三尺ばかり離れて突立っていた。私の両腕は憤怒に唸《うな》っていた。両眼はかっと窓の中を睨んでいた。今朝《けさ》からのむしゃくしゃを一時に爆発さして……。
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……もう勘弁ならぬ。野郎が室《へや》を出たら承知しない。一《ひと》当てで引っくり返してくれる。それから女を引っくくって二人とも生捕りにしてくれる。曲馬場の時はこっちが夢中になっていたから縮尻《しくじ》ったが、今度は先手を打つのだから間違いはない。それから二人の眼の前で志免に電話をかけて帝国ホテルと芳月軒に手配をさせてくれる。……女はジョージの情婦らしいが、ジョージと突き合わせてたたき上げればわかる事だ。訳はない。……××大使や外務省なんかに物は云わさないぞ。畜生。見やがれ。どうするか……。
[#ここで字下げ終わり]
と肩で息をしながらじりじり後しざりをしていた。
しかし窓の中の二人は、無論、気付いていなかった。受話器を元の処に返したストーン氏は何喰わぬ顔をして、ハンカチで口のまわりを拭く間《ま》に、以前の物柔らかな、堂々たる好紳士に立ち帰っていた。
「ありがとうございました。それでは私、失礼します。何卒《どうぞ》……何卒、今の事、よろしくお頼みします。いろいろ御親切にありがとうございました。済みませんでした」
こう云いきったストーン氏は、女が返事をしないので調子悪そうに立ち上ると、恭《うやうや》しく目礼をした。
「……さようなら……」
「……………」
女はいつの間にか口を噤《つぐ》んで、石のように固くなっていた。そうしてストーン氏の言葉のきれ目きれ目に微《かす》かにうなずいて見せながらも、眼は恐ろしそうに警視庁用の封筒をじっと見つめていたが、ストーン氏が別れを告げると、謹んで目礼を返した。そうして氏を送り出すべく、躊躇するようにおずおずと立ち上った。
私はワイシャツが闇の中に眼立たないように、外套の襟釦《えりぼたん》をぴっちりと掛けた。そうしてさあ来いと身構えるには身構えていたが、しかし何だか物足らぬような気がして仕様がなかった。この室内の装飾は、多分何かの目的でストーン氏を欺くためにした事と、私は最初から睨んでいたが、しかし、たったこれだけの事のためにしては余りに念が入り過ぎている。あとで私を欺くためとは無論思えなかった。
その中《うち》にストーン氏は玄関の入口の垂れ幕を引き退《の》けて、玄関の横の扉《ドア》の把手《ノッブ》に手をかけた。私も急いで椿の蔭を出ようとしたが、ちょうどその途端に、今まで黙っていた女が、何やら口を利き出したので、ストーン氏は振り返った。私も亦《また》、硝子《ガラス》窓に耳を近づけた。
「何ですか」
とストーン氏は、女の方に半身を向けて眼を※[#「※」は「目+爭」、第3水準1−88−85、286−13]《みは》った。
「貴方《あなた》はもしやあの丸の内で、曲馬を興行しておいでになるお方ではございませんか」
女の声は石のように硬ばって、今までの弱々しい調子がすっかりなくなっていた。そうして丸|卓子《テーブル》の上の灰色の封筒と、ストーン氏の顔とを恐ろしげに見比べた。
この様子を見るとストーン氏は急に女の方に向き直って、晴れやかに顔を光らした。
「はーい。そうでございます。私はそのキョク……曲馬団のマネジャー……ダン…
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