にまで信頼してくれるのか、僕は殆んど了解に……」
 ここまで私が立て続けに饒舌《しゃべ》り続けて来ると、少年はその涙に濡れた顔を急に上げながら、片手で私の言葉を遮り止めた。その眼には云い知れぬ敬虔の念が輝き満ち、その片頬には物悲し気な微笑さえ浮んでいた。
「先生……」
 そう云って椅子から立ち上った少年の態度には上官に対するような厳粛さがあった。私はその気合いに押されたようになって沈黙した。
「先生……僕は両親に代って先生に感謝しに来たのです」
「……ナ……何を……」
 と私は面喰って眼をパチパチさせた。
 少年は、又も無言のままポケットを掻い探《さぐ》って一葉の古新聞紙を私の前に差し出した。その第一頁の『東洋日報』という標題《みだし》の上の余白には、

[#ここから3字下げ、表罫囲み]
Care Nichibei Kyokai
No. 152. 3. Avenue, East End,
     New York
[#ここで字下げ、表罫囲み終わり]

 という英文字のスタムプが押捺《おうなつ》してある。それを取る手遅しと受取って開いてみるとその第五頁の社会欄と、中央の欄外に一つ宛《ずつ》赤丸が付けてある。大正七年十月十五日の記事である。

    怪死体と怪自動車[#大文字]
        芝浦にて発見さる[#中文字]
       ステーション・ホテル
       毒殺事件続報…………

[#ここから1字下げ]
 昨朝夜半、東京駅ステーション・ホテル第十四号室にて米国帰りの富豪、印度《インド》貿易商岩形圭吾氏が、何者にか毒殺され、鬼課長狭山九郎太氏の出動となり、その結果犯人が、志村のぶ子と称する絶世の美人らしき事判明したるも、鬼課長の一行が土手三番町旧浸礼教会跡なる犯人の潜伏所を探知して逮捕に向いたる時は犯人が既に、警官を載せ行きたる自動車の運転手樫尾初蔵なるものと共に、その自動車T三五八八号にて逃走したる後《のち》なりし事は昨夕刊に報道せる通りなり。
 しかるに該記事締切後十四日午後四時に至り、該自動車が芝浦海岸埋立地に放棄しあるを通行の巡査が発見し、直に警視庁に通報したるを以て狭山課長が単身オートバイにて出張し調査を行いたるに、更に附近の溝渠《こうきょ》中に浮みおる塵芥の下より、繃帯したる咽喉部を撃ち貫かれたる鮮人留学生らしき屍体を発見したり。然れども狭山課長は緘黙《かんもく》して何事も語らず。又別に調査する模様もなく立会の巡査に手伝わせて該屍体を無雑作にT三五八八の自動車に搬入し、空虚となりおれるタンクにオートバイのガソリンを注入し、附近の自動車屋より運転手を雇いて運転させ、自身はオートバイにて先導しつついずれへか立ち去りし趣なるが、該屍体はそのまま共同墓地に仮埋葬し、自動車は数寄屋橋タクシーに返還したる模様なるも、狭山課長の消息はその後全然不明にして、この稿締切までは何等の報告に接せず。然れども、以上の行動を以て察する時は何等か的確なる方針の下に、意外の辺にて意外の活躍をなしおるものなるべく、今明日《こんみょうにち》の中《うち》には何等かの刮目《かつもく》すべき成果を挙げ来《きた》るべく信ぜられつつあり。

 ○コロラド丸出帆[#中文字] 過般来船内にチブス患者発生したるため、横浜に停船を命ぜられおりし沙市《シヤトル》行客船コロラド丸は一昨十二日解禁されたるを以て今十四日午後六時出帆、定期航路に就く事となれり。
[#ここで字下げ終わり]

 私は思わず机をドンとたたいた。
「……豪《えら》い……君が探偵なら正に名探偵だ。僕もシャッポを脱がざるを得ないよ」
 少年は極《きま》り悪げにうつむいた。
「……僕は電話口で芝浦にT三五八八の自動車が……という巡査の慌てた声を聞いた瞬間にそう思ったよ。志村夫人と樫尾運転手は、芝浦海岸から自動端艇《モーターボート》に乗って逃走したに違いない……と……。そこで誰にも云わないで単身、オートバイを乗り付けて調べてみると、一寸《ちょっと》普通人には気が付かないが自動車の幌のまん中に、かなりの近距離から発射したらしいピストルの新しい弾痕がある。これは樫尾がモーターボートを芝浦へ廻す手配を感付いたJ・I・Cの人間が先廻りをして、君のお母さんを狙撃したものに違いないので、人家から数町離れた海岸とはいえ、白昼にこんな危険を犯すのは尋常の目的でない事がすぐにわかるのだ。しかし車内には血痕も何も見当らないのでもしやと思って附近を探すと、かねてから君の両親を狙っていたJ・I・Cの鮮人の屍体を発見したのだ。つまりモーターボートの近くの石垣の蔭に隠れて待ち伏せていたのだね。……それからガソリンがなくなっていたのは無論ガソリンを使いつくす程長距離を走ったものではない。用心のためにボートの中へ持ち込んだものであるが……僕は初めから考えるところがあってそうと察した訳なんだが、君は新聞記事以外に何も見ないまま、一足飛びに僕が気付かなかった欄外記事と結び付けて、乗った船まで推測したところは、たしかに一段|上手《うわて》と云わなければならぬ。ところで、これが、どうして僕に感謝する理由になるのですか」
「最初からの新聞記事を一緒にしてそこまで読んで来れば解ります。貴方《あなた》は途中から母の追跡を止めておられます。母を楽に逃げられるようにしてやっていられます。それは中途で母の無罪を認めて下すったからです」
 少年はすらすらとここまで云うと、恰《あたか》も自分自身が両親の罪を背負っているかのように、悄然《しょうぜん》と頭を下げた。
 私は云うべき言葉を知らなかった。……明察神の如し……とはこの少年の事であろうか。只、呆れに呆れてその綺麗に分けた頭を見上げていた。
 けれども、やがて私は吾《われ》に返った。厳粛な態度で椅子から立ち上って、少年の横から近付いて両手をピッタリと肩に当てた。強く二三度ゆすぶりながら云った。
「……よろしい……君の一身は引き受けた。誓って君の両親の仇敵《かたき》を打たして上げる」
 少年は顔を上げた。いかにも嬉しそうに私の顔を見上げながら、両眼から溢れ流るる涙を隠そうともしなかった。
 私も胸が一パイになって来た。
[#改丁]

     中巻
[#改頁]

[#ここからプログラム、表罫囲み]
新来朝五国聯合 バード・ストーン一座大曲馬[#「新来朝」「五国聯合」は2行組み、ゴシック体。「バード・ストーン一座大曲馬」は特大文字、ゴシック体][#この行全体はミシン罫囲み]

プログラム[#中文字、ゴシック体] (午後一時開演)(同 五時終了)[#「午後一時開演」「同 五時終了」は2行組み、地付き]

[#ここから2段組み(「適用外」と注記した箇所を除く)。上段に演目、下段に国名や出演者名など。演目は大文字]
★1……君が代行進曲 専属音楽団
★2……文字を解し、計算し、地図を読む馬[#段組み適用外]
 米国理学博士 アスタ・セガンチニ夫人[#段組み適用外]
★3……二頭立戦車曲芸
 ◇第一戦車 〔伊太利〕 ルビヤ・ベルチニ嬢。アルマ・ドラー嬢。ヤヌヌ・スタチオ(弟)。
 ◇第二戦車 〔伊太利〕 マルテ・コスチニ嬢。イポリタ・ホルマニ嬢。カヌヌ・スタチオ(兄)。
★4……満洲馬曲芸 〔支那〕 張蔡。宝卓。陳亢凱。紫白哥。李勲。黛岳。
★5……自転車新曲芸 〔英国〕 サイラス・ブランド
★6……哥薩克馬曲芸 〔露西亜〕 カルロ・ナイン嬢。ワーシカ・コルニコフ。コンスタンチン・ダレウスキー。ブレボフ・ミハイロウィッチ。アルツバイエフ・ハドルスキー。
★7……美人大曲馬 〔米国〕 エルマ・フランチェスカ嬢。アンネット・シルビア嬢。アンナ・サロン嬢。クララ・ハイン嬢。パオロ・カーマンセラー嬢。
★8……コロンビヤ行進曲 専属音楽団
   小憩 十分間[#段組み適用外]
★9……喜劇大馬と小犬 〔支那〕 珍友三
★10……馬上の奇術 〔伊太利〕 ジョージ・クレイ
★11……馬の大舞踏会 座附美人一同参加
[#ここで段組み終わり]
==入場料 一円・二円・三円・七円==[#「入場料」から「七円」まで大文字、ゴシック体。「==」は二倍二重ダーシ][#地付き、地より3字アキ]
(以 上) (裏面欧文番組略)[#「(裏面欧文番組略)」は地付き、地より1字アキ]
[#ここでプログラム(表罫囲み)終わり]

 このプログラムを貰って演技場に這入《はい》って行くと、入口に突立っている巡査は古い顔|馴染《なじみ》であったが、一寸《ちょっと》胡散《うさん》臭そうな眼付きをして私を見送っただけで、横の方を向いてしまった。変装はしていたが眼付が違っていたために掏摸《すり》とでも思ったのであろう。私はそのまま円形の見物席の背後を廻って、割合に人の疎《まば》らな正面の特等席の中央《まんなか》あたりの空席に腰を卸《おろ》した。
 見上ぐれば、曲馬場内の五個所から斜めに突き出た軍艦のマストに擬《まが》う大支柱と、その大支柱から分岐した数十本の小支柱とで、巧みに釣り上げられた大天幕の穹窿《きゅうりゅう》の無数の隙間からは、晴れ渡った空の光りが、星のように、又は七宝細工のように眩《まぶ》しく場内に降り落ちて来る。
 その真中の一番高い処から、大きな鳥の姿を金糸で刺繍《ししゅう》にした三間四方もあろうかと思われる真紅の大旗が垂らしてあるが、その近所の天幕の穴が特別に眩しいために、何の鳥だかはっきりとわからない。
 直径三十間以上もあろうかと思われる場内は隅から隅まで光線が明るく行き渡っている。ただ入口に近い側の天幕の斜面には、一面に午後の日ざしが照りかかっていて、そこから洩れ込む光線が、場内に籠っている人いきれと、煙草の煙とを朦朧と照しているために、楽屋から演技場に出て来る通路は黄金色《こがねいろ》の霧に籠められて、そこいらを動きまわる人間が皆、顕微鏡の中の生物《いきもの》のように美しく光って見える。中央の演技場は直径二十間位の円形を成していて、草一本、石ころ一つないように掃き浄められているが、この周囲を取り巻く人間の数は無慮三千以上もあろうか。興行が眼新しいのと、場所がいいのと、入場料が安いのと三拍子揃っている上に、天気がよくて、おまけに風がないと来ているので、満場|立錐《りっすい》の余地もない大入りで、色々な帽子やハンカチが場内一面に蠢《うごめ》いている有様は宛然《さながら》あぶらむし[#「あぶらむし」に傍点]の大群のように見える。外国人も、むろんその中に大勢交っていて、私の居る特等席を中心にして場内の方々に散らばっているようである。
 やがて拍手の音が演技場の四方から湧き起ると豪快な露西亜《ロシア》国歌「戦い熟せり。勇めや進め……」のマーチに連れて、四頭の馬に乗ったコサック騎兵が現われた。但し、コサック騎兵とはいうもののその服は青と紫と、赤と、緑の四色の化粧服で、長い槍の尖端もニッケル鍍金《めっき》で光っている。ただ人間と馬だけは本物のコサック産らしく、場内に乗り込んで来ると直ぐに左右に引き別れて槍の試合を初めた。試合といっても、それはほんの武技の型に過ぎなかったが、それでも随分猛烈なもので、マーチに入れ交る野蛮な掛け声と共に、木《こ》ッ葉《ぱ》のように馬を乗りまわし、槍を搦《から》み合わして闘いながら落ちようとして落ちなかったり、馬の腹をぐるぐる這い廻ったりするところは、度々見物を唸《うな》らせた。
 十分間ばかりで試合が済むと見物席に一しきり喝采《かっさい》が湧いた。烈しい口笛を鳴らす者もあった。これは一座の明星カルロ・ナイン嬢の出場を予期した動揺であったらしい。その十分に調子付いた見物の亢奮《こうふん》的喝采の裡《うち》に、コサック式の白い外套、白い帽子、白手袋、白長靴、銀拍車という扮装《いでたち》で、白馬に跨《またが》ったナイン嬢は、手綱を高やかに掻い繰りながら現われたが、私の居る特等席の正面七八間の処まで来て馬を止めると、見物一同に向って嫣然《にこやか》に一礼をした。見ればまだ十五六にしか見えない花恥かしい少女
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