内をさせてから後《のち》の奇々怪々な行動を見たら、誰でもてっきり犯人と認めるのが当り前で、決して私の逃げ口上でもなければ、負け惜しみでも何でもないという自信を今でも持っているのである。
ところが私が女を犯人と認めるに至った根本の理由となっている、珈琲の中の毒薬の一件は、今のボーイの話によると全然消滅してしまう事になる。女が珈琲の中に毒薬の入っていることをまるで知らないでいた事は、その動作によって明瞭に察する事が出来るので、男の方が却《かえ》って毒薬と知って引っくり返したものを、わざわざ拭いてやって、恐ろしい証拠物件となるべきハンカチを男に渡してしまった上に、自分の持っていた紫のハンカチまでも与えている。この点から考えると、女を犯人と認める第一の理由は、あとかたもなくなってしまうので、帰するところ、私の推理に根本的な大間違いがあった事になるであろう……否……否……であろうどころではない。その根本的な推理の間違いは今やっと判明《わか》った。
私は岩形氏を殺そうとしたものと、実際に殺したものとを、最初からたった一人の犯人と思い込んでしまっていたのだ。「魚目」の毒もメチールも、同じ人間が同じ目的で使用したものと信じたためにこんな間違いを犯したので、実は二人の手で別々に使用し得る……従って女は殺人と無関係であり得る……という大切な仮定の下に、もう一度推理をし直してみる必要があったのだ。
その証拠には第一の仮定がぐら付いて来ると同時に、第二の仮定までもがどん底からぐら付いて来るではないか。すなわちステーション・ホテルで岩形氏を秘密に訪問した女の姿までは、殆んど寸分の狂いもない位的中したようであるが、その女がたしかに男を殺すつもりであったという事実上の証拠と認むべき第一回の珈琲事件の真相がこんな風に正反対に引っくり返って来るとなれば、第二回の注射事件に関する私の論証も、すっかりあやふやになって来る。第二回目にホテルに来て、扉《ドア》の外から様子を窺《うかが》ったのも、たしかに紳士を殺すつもりで来たとは断言出来ない事になる。殊にこの二人は夫婦関係の者で、女は何事かを諫《いさ》めるために、夫に聖書を突付けて泣いたりするような、心掛けのいい女とすれば、二度目にホテルへ来たのも、何かしらそんな目的で、もう一度諫めに来たものか……それとも何かの理由で夫の危急を知って救いに来たものとも考えられる可能性が出来て来る。但し、ボーイに与えた二十円は、余りに多額に過ぎるようであるが、これも想像を逞しくすれば、よく調べずに渡したものとも考えられるであろう。
しかも……万に一つこのような想像が全部事実として、女が絶対に犯人でないとすれば、彼《か》の紳士は誰が殺したか。誰が珈琲に毒を入れたか。岩形氏が鍵をかけておいた扉《ドア》を誰が開いたか。
そもそも何の目的で殺したか。
私は最前ボーイが話した、朝鮮人らしい留学生を疑ってみた。岩形氏が註文した珈琲を、自分のものだと云いがかりを附けながら、その拍子に多分丸薬と思われる毒薬を投込んだものに違いないとは思ったが、そんなものがホテルに来た形跡は少しもないし、所持品も紛失したものがないようだから結局殺した目的はわからない事になる。よしんば、その不明の目的のために岩形氏を殺したとしても、その手がかりになる留学生は、唯、顔に痘痕《あばた》があるというだけで、探し出すにしても雲を掴むような苦心をしなければならぬ。早稲田の帽子を冠っていたと云うけれども、そんな奴の冠る帽子が当《あて》になった例は先《ま》ずない。
最後に私は最前のボーイの話の中にあった岩形氏の言葉を思い出した。
……永遠に酔い、永遠に眠る……。
……「自殺」という考えが私の頭の中に閃めいた。けれども自殺とすれば何という奇妙な自殺法であろう。遺書《かきおき》一本残さずに、泥だらけの手で毒薬を注射して、上着と外套を後から着て、横向きに寝て、眼を一ぱいにあけて、開いたままの窓の方を睨んでいる自殺者は、永年変死人を扱い付けている私も、聞いた事すらない。何の必要があって、そんな変梃《へんてこ》な死に方をするのかすら見当の付けようがない。唯《ただ》御苦労と云うより外はないであろう。
これで他殺の証拠も消え失せるし、自殺と認める理由もなくなった。あとは他殺と自殺の意味を半分|宛《ずつ》含んでいる「過失」という疑問が残る。今まで過失で死んだものを他殺とか、自殺とかいって大騒ぎをした例は珍らしくない。私も二三度迷わされた事があるが、彼《か》の紳士も丁度、自殺と他殺の中間の恰好をしている。
しかし「過失」とすれば彼《か》の紳士は何か持病があって、その苦痛を免《のが》れるために何かの注射をしていたもので、その分量を誤ったものと見なければならぬが、そんな持病のために一度一度|襯衣《シャツ》を切り破るような、詰まらぬ贅沢をする人間もなかろうし、局部を消毒した脱脂綿も見当らなければ、注射の後で絆創膏《ばんそうこう》を貼った形跡もないのが第一奇怪と云わなければならぬ。反証はこれ一つで沢山だ。
ところでいよいよ他殺でもなく、自殺でもなく、過失でもない……とすればあとには「病死」と「老衰死」とが残る。しかしこれを問題にするのはあとで読者をあっと云わせる探偵小説か何かの話で、実際にはあり得べき事でない。
私は落胆《がっかり》してしまった。
一たい今日の事件は手がかりが早く付き過ぎていて、判断の材料が複雑多岐を極め過ぎている。だからこんなに迷うのだ。……だからどっちにしても女を捕まえさえすれば見当が付く事と思って、彼《か》のカフェーでボーイの話を聞いているうちから、女が犯人でないかも知れないと気付いていたにも拘らず、そのままにして、志免警部の活躍に一任しておいたのであったが……。
遣《や》り直し……遣り直し……。
読者は嘸《さぞ》かし自烈《じれっ》たいであろう。私もうんざりしてしまった。しかし一人の絶世の美人が、貞烈無比になるか、極悪無道になるか、絞首台に登るか登らぬかの境目だから、今一度辛棒して考え直さなければならぬ。苟《いやし》くも法律の執行官たるものが、こんな無責任なだらしのない事でどうする……と自分で自分の心を睨み付けながらそろそろと歩度を緩めた。そうして全然別の方向からこの事件を観察すべく、鼻の先の一尺ばかりの空間に、全身の注意力を集中し初めた。
すべて探偵術のイロハであって、同時にその奥義となっている秘訣は、事件の表面に現われた矛盾を突込んで行く事である。これは強《あなが》ちに探偵術ばかりでなく、凡《すべ》ての研究的発見は皆そうだと云っても差支《さしつかえ》ない位で、高尚なところでは天文学者が遊星の運動の矛盾から割出して新しい遊星を発見し、生物学者が動植物の分布の矛盾から推理して、生物進化の原理を手繰《たぐ》り出すのと一般である。もっと手近い例を取れば、一人の嫌疑者を取調べるにも、
「お前の云うところはここと、ここが矛盾している。これは何故か」
と突込《つっこ》んで行くと遂には、
「恐れ入りました」
と服罪するようなもので、理窟は誰でも知っているが実際に扱ってみるとなかなか裏表の使いわけの六ケ敷い、深刻な妙味を持った真理である。
私はこの場合すぐこの原則を応用した。事件の表面に現われた矛盾の最も甚しいものを、がっしりと頭の中に捕まえた。それは矢張り彼女であった。自称田中春であった。
この女は一方に質素な藍色の洋服を着て、せっせと働いているように見えながら、一方には派手な扮装《なり》をして、白粉《おしろい》をこてこてと塗って大金を受け取っている。どこに居るかわからぬ子供を思い切ると云うかと思うと、夫婦別れをするらしいのに夫の身の上を心配している。人が吃驚《びっくり》するような美人でありながら、醜い夫に愛着しているのも妙だし、そうかと思うと金を捲き上げているし、正直な風をして聖書をひねくっているかと思うと、その裏面では容易ならぬ曲者《くせもの》の手腕を示している。その癖又、弱々しいところもあるかと思うとしっかりし過ぎているところもあるし、落着いているようにも見えれば慌てているようにも見える。その他何から何まで理窟の揃わない辻褄の合わぬ事ばっかりしているので、その行動の矛盾|撞着《どうちゃく》している有様が、ちょうど岩形氏の死状の矛盾撞着と相対照し合っているかのように見えるところを見ると、その間には何かしら共通の秘密が伏在していはしまいか。その秘密がこの事件の裏面に潜んでいて、二人を自由自在に飜弄《ほんろう》しているために、こんな矛盾を描きあらわす事になったのではないか……待てよ……。
ここまで考えて来た私は、無意識の裡《うち》にぴったりと立ち止まった。……と同時にポケットの中で最前の聖書をしっかりと握り締めながら、ぼんやりと地面《じびた》を凝視している私自身を発見した。そこいらを見まわすと私はいつの間にか銀座裏を通り抜けて帝国ホテルの前に来ている。
私はポケットから聖書を引き出して眼鏡をかけた。そうしてすたすたと歩き出しながら聖書を調べ初めた。
それは日本の聖書出版会社で印刷した最新型で、中を開くと晴れ渡った秋の光りが頁に白く反射した。持主の名前も何も書いてないが、処々に赤い線を引いてあるのは特に感動した文句であろう。ヘリオトロープの香《かおり》は引き切りなしに湧き出して来る。
私はこの聖書から是非とも何物かを掴まねばならぬという決心で、一層丁寧にくり返して調べ初めた。すると、あんまりその方に気を取られて歩いていたために、日比谷の大通りの出口で、あぶなく向うから来た一台の自動車と衝突するところであったが、自動車の方で急角度に外《そ》れたために無事で済んだ。
「危い」
と運転手はその時に叫んだが、中に居た女らしい客人も小さな叫び声を揚げた。そうして驚いて振り返った私に向って運転手は、
「馬鹿野郎」
と罵声を浴びせながら走り去った。
その運転手の人相は咄嗟《とっさ》の間の事であったし、おまけに荒い縞の鳥打帽を眼深《まぶか》に冠って、近来大流行の黒い口覆《くちおお》いをかけていたから、よくは解らなかったが、カーキー色の運転服を着た、四十恰好の、短気らしい眼を光らした巨漢《おおおとこ》であった。自動車は軍艦色に塗ったパッカードで番号は後で思い出したが、T三五八八であった。
一寸《ちょっと》した事ではあるが、このはっとした瞬間に私の頭の中はくるりと一廻転した。そうして新しい注意力でもってもう一度聖書を調べ直してみると……。
……私は直ぐに気が付いた。聖書の文句に引っぱってある赤線は、只の赤線でない。これは一種の暗号通信のために引いたものである。その証拠には、誰でも感服してべた一面に線を引くにきまっている基督《キリスト》の山上の説教の処には一筋も引いてなく、却ってその他の余り感服出来ない処に引いてあるのが多い。
私は聖書をそのままポケットに突込んで、電車線路を横切って日比谷公園に這入った。それから人の居ないベンチをぐるぐるまわって探した揚句《あげく》、音楽堂の前に行列している椅子のまん中あたりの一つに引っくり返って、とりあえず聖書の中の赤い筋を施した文字を拾い読み初めた。――
――主《しゆ》たる汝《なんぢ》の神《かみ》を試《こゝろ》むべからず。
――向《むか》うの岸《きし》に往《ゆ》かんとし給《たま》ひしに、ある学者《がくしや》来《きた》りて云《い》ひけるは師《し》よ。何処《いづこ》へ行《ゆ》き給《たま》ふとも我《わ》れ従《したが》はん。
――癩病《らいびやう》を潔《きよ》くし、死《し》したる者《もの》を甦《よみがへ》らせ、鬼《おに》を逐《お》ひ出《だ》す事《こと》をせよ。
――罵《のゝし》る者《もの》は殺《ころ》さるべし。
――二人《ふたり》の者《もの》他《た》に於《おい》て心《こゝろ》を合《あ》はせ何事《なにごと》にも求《もと》めば天《てん》に在《いま》す我父《わがちゝ》は彼等《かれら》のためにこれを為《な》し給《た
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