うとしたために、隅の方に紫の指痕を附けた。その変色していない部分は布地《きれじ》が乾燥していたために化学変化を起さなかったので、そのためにこの女はタイプライターを扱う女という事実が推測され得る事になった。
その第二はこの室《へや》に来ておりながら、毒薬を拭いたハンカチを奪い返さずに立ち去った事で、その第三は鍵を掛けないで逃げて行った事である。これは何かに驚いたためではないかと考えられるのであるが、しかしこの第三の鍵を掛けなかった失策は、その以前にボーイに大枚二十円を与えて口止めをしていたので大した失策にならずに済んだ。
……最後にこの女は、非常に注意深い性質でありながら、犯罪行為には慣れないと見えて、到る処に大きな犯跡を残している。その中でも指紋に関する知識はまだ一般に普及されていないから、ワニス塗りの扉《ドア》に手を触れたのは咎《とが》めないとしても、油引きの廊下の左端の方を選《よ》って歩いたのは、如何にも馬鹿馬鹿しい不注意である。足跡を残すのはまだいいとしても、万一辷りたおれでもしたら、それこそ大変な事になったであろう。
……なお他殺という事は、この紳士の性質と行動を見ればわ
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