、中から現われたものは小さな足付きの硝子《ガラス》コップで、中には昇汞水《しょうこうすい》のような……もっと深紅色の美しい色をした液体が四分目ばかり湛えられてあった。
 女はそれを前に置いて立ったまま、心静かに衣紋《えもん》を繕った。帯の間から櫛《くし》を出して後《おく》れ毛を掻き上げた。次には袂《たもと》から白の絹ハンカチを出して唇のあたりをそっと拭いた。そうして最後に、何事かを黙祷するようにうなだれた。
 ゴンクール氏の呼吸はいつの間にかひっそりと鎮まっていた。卓上電燈の光りは女と、その投影《かげ》に蔽われた男を蒼白く、ものすごく照し出した。
 三十秒……五十秒……あと一分……。けれども影のような女は顔を上げなかった。影のようなゴンクール氏も動かなかった……粛殺《しゅくさつ》……又粛殺……。
 やがて女は静かに顔を上げた。卓子《テーブル》の上の洋盃《コップ》をじっと見た。そうしてやおら手に取り上げて眼の高さに差し上げてもう一度じっと透かして見た。
 紅《あか》い液体が、室内の凡ての光りと、その陰影を吸い寄せて、美しく燦爛《きらきら》とゆらめいた。

 今や室内のありとあらゆる物の価
前へ 次へ
全471ページ中437ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング