の自動車と衝突するところであったが、自動車の方で急角度に外《そ》れたために無事で済んだ。
「危い」
と運転手はその時に叫んだが、中に居た女らしい客人も小さな叫び声を揚げた。そうして驚いて振り返った私に向って運転手は、
「馬鹿野郎」
と罵声を浴びせながら走り去った。
その運転手の人相は咄嗟《とっさ》の間の事であったし、おまけに荒い縞の鳥打帽を眼深《まぶか》に冠って、近来大流行の黒い口覆《くちおお》いをかけていたから、よくは解らなかったが、カーキー色の運転服を着た、四十恰好の、短気らしい眼を光らした巨漢《おおおとこ》であった。自動車は軍艦色に塗ったパッカードで番号は後で思い出したが、T三五八八であった。
一寸《ちょっと》した事ではあるが、このはっとした瞬間に私の頭の中はくるりと一廻転した。そうして新しい注意力でもってもう一度聖書を調べ直してみると……。
……私は直ぐに気が付いた。聖書の文句に引っぱってある赤線は、只の赤線でない。これは一種の暗号通信のために引いたものである。その証拠には、誰でも感服してべた一面に線を引くにきまっている基督《キリスト》の山上の説教の処には一筋も引いて
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