一度|襯衣《シャツ》を切り破るような、詰まらぬ贅沢をする人間もなかろうし、局部を消毒した脱脂綿も見当らなければ、注射の後で絆創膏《ばんそうこう》を貼った形跡もないのが第一奇怪と云わなければならぬ。反証はこれ一つで沢山だ。
 ところでいよいよ他殺でもなく、自殺でもなく、過失でもない……とすればあとには「病死」と「老衰死」とが残る。しかしこれを問題にするのはあとで読者をあっと云わせる探偵小説か何かの話で、実際にはあり得べき事でない。
 私は落胆《がっかり》してしまった。
 一たい今日の事件は手がかりが早く付き過ぎていて、判断の材料が複雑多岐を極め過ぎている。だからこんなに迷うのだ。……だからどっちにしても女を捕まえさえすれば見当が付く事と思って、彼《か》のカフェーでボーイの話を聞いているうちから、女が犯人でないかも知れないと気付いていたにも拘らず、そのままにして、志免警部の活躍に一任しておいたのであったが……。
 遣《や》り直し……遣り直し……。
 読者は嘸《さぞ》かし自烈《じれっ》たいであろう。私もうんざりしてしまった。しかし一人の絶世の美人が、貞烈無比になるか、極悪無道になるか、絞首台
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